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中国旅行は中国と日本の絆の見直し

中国の人々や歴史を日本人との関係で捉えなおすよう心掛けた


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

完全自動軍用車の実戦配備の恐ろしさ

毎日新聞8月24日付に、「イスラエル軍毎日新聞の取材に、無人の完全自動(フルオート)運転軍用車の実戦配備を開始したことを明らかにした。」と報道されている。

人工知能(AI)による自動運転軍用車の本格配備は「世界初」(イスラエル軍)で、7月中旬からパレスチナ自治区ガザ地区との境界に導入した。今後、機関銃など兵器を搭載してレバノンやシリア、ヨルダン、エジプトなど周辺アラブ諸国との境界に順次、配備する。将来的には兵士とロボット車両の混成戦闘部隊の組織を目指す。兵器は現状では遠隔操作だが、製造業者は「技術的に武器の自動化は既に可能な状態」としている。イスラエル軍ロボット開発部門トップのアミル・シュポンド中佐は「現在は各大隊にロボット(車両)数台を組み込む体制を目指している。ロボットは人間の司令官の配下に置くべきだと判断した。」(以上「毎日新聞」(2016年8月24日、朝刊より抜粋)

 因みに現在無人攻撃機の開発で最先端を行っているのは、イスラエルであり、イスラエルの イスラエル・エアロスペース・インダストリーズ社が開発した無人攻撃機「IAIハーピー」は既に、中国人民解放軍陸軍、大韓民国陸軍、インド空軍、トルコ空軍に輸出され実戦運用されている。

 つい先ごろ話題になった韓国へのミサイルの実戦配備に、中国が猛反発したとニュースの裏側にもこのような武器の売買、配備が横たわっている訳である。

 イスラエルにしろアメリカにしろ中国にしろ一体世界をどこに持っていこうとしているのか厳しく問われるべきである。さらには日本は安倍首相の言うようにアメリカの集団安全保障の傘の中にぬくぬくと入っていることの恐ろしさを改めて認識する必要に迫られていると考えざるを得ない。

 このご時世、自分の置かれた状況だけは、しっかり掴んでおきたいと、「誰がこの国を動かしているのか」というタイトルの本を読んで勉強を始めた。得られた知見は逐次お知らせをしていきたい。乞うご期待!

 

石原都知事の「発言」の恐ろしさ 原発は些細な問題か?

石原都知事が新党を立ち上げるため、都知事を投げ出し、妄動に走っていることが、伝えられていた。その中で、かれが維新や「みんなの党」に一緒にやろうと呼びかけをしている。かれが、仲良しグループで一緒にやるのは、彼の問題だから、どうでもいい話である。しかし彼の発言の中で看過できないものが出てきたのでここでふれておきたい。

 かれは、大同団結をして一緒にやろうと呼び掛ける中で、「原発等の問題は、・・些細な問題であるので、先ずは一緒に話をして解決していけなければならない」という意味のことを、公にしている。今の時点で、東北大震災であれだけ重大な問題を引き起こしておきながら、されを些細な問題という神経が常軌を逸している。

 そしてそれに対し、橋元大阪市長は、「彼との間にはそんなに大きな違いはありませんよ」と述べている。ということは、橋元氏自身も原発の問題は些細な問題とらえているのだろうか。かれがいままで言ってきたこととの整合性はあるのだろうか。

 

 東北大震災で原発さえなかったら、これほど深刻な問題にならなかったであろうし、放射能汚染が消えてなくなるまでには、これから数万年かかるとも云われている。その様な被害を人類に日本は世界に与えてしまっているのだ。それを「些細な問題」とすることが出来るのだろうか。

 

大地震に対する備えという意味からも、自分の寝室をもう一度点検してみよう

寝室の風水中国の風水の歴史は歴史と同じで4,5千年の風雪に耐えている。その中には単に迷信というものもあると思うが、それなりの根拠をもったものも多いと思う。
中国で建物を立てる時は未だに風水師が幅を利かせ、かなり細部にわたって「アドバイス」を加えていると聞く。ITを駆使したかなり大きなビルでさえ、未だその様な噂を耳にする。
 さて今日は漢字サイトで「寝」という文字を取り上げていたので、寝室に伴う風水を探してみた。中国のサイトで「風水」というキーワードで検索すると、実に多くのサイトがヒットされる。ここではその中でも比較的「ちゃんと」しているであろうものを紹介する。ただし、これを信じるか否かはあくまでも自己責任でお願いする。このサイトではいかなる責任も負わない
占いや風水に当たっての心得
 私は思うのだが、占いを信じる、風水を信じるときに大切なのは、占い師の言うことや風水師の言うことをそのまま鵜呑みにするのではなく、自分自身の要求や気持ちをしっかり持ち、その上で一つの参考意見として考えるぐらいでないと間違うことになりうる。さもなくば良い時は風水師等の手柄に、悪い時は自分自身のせいに(得てして、彼らは本人のせいになるように誘導する)なってしまい、まったく何も見えなくなってしまう危険性を持っている。
 これは以下のサイトを著者が勝手に解釈したものである。正式なものは「風水学・寝室25禁」です。直接参照戴きたい。

寝室は普通の人にとっては最も長い時間を過ごす場所です。だから最も深い影響を与えるところでもある。寝室とベッドの吉凶は、直接的に健康、財運、夫妻感情などに影響するので、慎重にしなければならない。
(1) 寝室は休むカ所で、静穏が必要で、窓には風鈴などを掛けてはいけない。でなければ、脳神経は衰弱する事もある。
(2) 寝室の空気は流れを保持しなければいけない、夜就寝する時はドアや窓の開口部を全部閉鎖してはならない。
(3) 寝室内光線は過度に薄暗くしないこと。
(4) 寝室の床は毛の長い敷物を敷くのはよろしくない、湿ったりカビ臭くなったりして、気管に良くない。もし子供がいれば尚更のことである。
(5) 寝室の出入り口に向かって冷蔵庫は置かない。病気になることもある。
(6) 寝室の出入り口に向かって位牌は置かない。心が平安でなくなる
(7) 寝室の床や壁は淡色系とすべし。
(8) 寝室は色とりどりにしてはいけない。
(9) 寝室内に水槽を置くのは据える。でなければ、病気になり易くなり、脳神経を衰弱させる。
(10) 寝室の入り口付近に、部屋内に鏡を相対的させない、あまりごちゃごちゃ多くするべきではない。
(11) 寝室内に高く雑物を盛り上げることは避けるべきである。自分のストレスが大きくなり、緊張、気持がいらいらする。
(12) 寝室内に石の飾り物を置くのはよくない、性格が執拗で、腫れ物が出やすくなる。
(13) 寝室内に猛獣の絵をかけたり彫刻品などを置くと、意外に血の気がなくなることもある。
(14) 寝室は階上に乗せ、床下を人や車が流動すると、財が来て去っていく。
(15) 二つの寝室のドアを相対させると、口論や争いが多くなる。気流の相対して流れるため、それぞれの部屋の気流は混同してしまう。
目下の部屋が年上の者部屋より大きいと、不幸はいっそう明らかだ。
改善方法
1は、ドアの向きを変えて、正対させない。
2は、衝立をたて気に当てる。
(16) 寝室のドアの正面に上り階段があると、病気や痛苦、手術、血の気がなくなる。真正面の下り階段は、主は散財する。衝立てを立てそれに当てるとよい。
(17) 寝室内に盆栽が多すぎるのもよくない、気の乱れが生じ、病気、苦痛などの原になる。
(18) 寝室内ソファーも多すぎるのもよくない、夫妻の口論は多い。
(19) 寝室のドアが玄関に対面していると、心身が安らかにはならなく、身体は不健康で、気の流れが速く留まる事がない。
(20) 枕元とドアが一面の壁に偏っている場合は、反睡と呼んで、言い眠りが取れなくなり、悪い夢をみ易くなったり、びくびくしたり、長く続けば脳神経衰弱に陥ることもある。別人が入った寝室では、自分で誰が部屋に入って来たか見ることができない。枕元がドアに近い過ぎる時は、ドアの開閉時気流の流れの為、頭部のエネルギーが逃げ、めまいや頭痛、何事にも自分の考えがまとまらなくなる。
(21) 枕元の窓が開いていたり、壁に依るときは、頭痛、何事にも自分の考えがまとまらなくなる。
(22) ベッドが右の壁に依っていると、他人がいじめを受けることもある。
(23) ベッドが低すぎると臭気が下に沈んでいくために多くの病や痛みが出ることもある。45センチメートル以上なら比較的によい。
(24) ベッド下に雑物を積んでおくと、主には胎児を損なって、雑物の堆積する時間が長いと、臭気が発生しやすくなる。
(25) ベッドの底の通気性が全くないと、主に腰がだるくなる。

結論は「寝室は平穏で清潔に保ち、飾り物や物をあまりごちゃごちゃ置かない、通気はよくする。」ということになるようだ。そしてこれらの結論は、筆者も阪神淡路大震災で経験して、寝室に関する防災心得とも合致することがよく理解できた。寝ている上に箪笥が倒れてくるときの恐怖は筆舌に尽くし難し。
南海トラフの活動の前に、もう一度点検を!!

誕生日プレゼント

今日も中国の笑話を拾ってきました。
 

 妻の誕生日に夫は妻の為に首飾りを買った。妻はその値段が大層高いのを知って、大変喜んだ。しばし眺めた後、妻は言った。「ねえ、もしあなたが私にベンツ車を買ってくれたら、もっと幸せなんだけど。」
 「うん、そうだね。」 夫は、つい口を滑らして続けた。「だけど、惜しいことにベンツはまだ偽物は出ていないよ」

笑話 「憂鬱」

中国のサイトで見つけた笑い話です。身につまされます。

夫は妻が満面暗い顔でいるのを心配して聞いた。 「ねえ、君どうしたの?」
妻が答えて曰く、「私憂鬱なの」
「どうして?」 夫は訝しげに尋ねた。
妻は答えて、「私はあなたがいつまで私と一緒にいられるか分からないもの。」
夫は優しく妻に言った。「心配しないで。僕はいつまでも君と一緒だよ。」
「それが私が一番心配していることなのよね」 妻は深い溜め息をついた。

中国のサイト「笑話」より

夏の味

今週のお題「夏の味」
夏の味といえばビール、枝豆、冷奴
変わったところといえば、ドリアン これは最高
 夏の食べ物とはいえないが、何せ熱帯の果物、いつも夏なので、夏の味としておこう

トイレの変遷の歴史

 先日、ネットサーフィンをしていたら面白い記事にぶつかった。それに触発され、久しぶりに記事を書く気になったので、紹介することにしたい。下ネタであるが、一応文化史にかかわることなので、放っておけない。
 それは「トイレ文化の歴史は悠久」と題するもので、「羊城晚报」という夕刊紙がアップしたもののようだ。

厕所文化历史悠久


墳墓の中のトイレはやはり豪華f:id:China21:20120815141618j:image:w360:right 

  徐州亀山漢墓のお手洗いは、ステップがあって、肘掛けがあって、背もたれがあって、鉢は手洗い用のものだ。 

日常生活の中のトイレ 

 《周礼》の記載によれば、早くも三千年前にはすでに日常生活にお手洗いが現われた。春秋戦国時期、トイレに関する記載には、お手洗いが当時もう普通に人々の生活の中に入っていたとのことである。 

 “官吏のトイレの中はネズミが食べるように不潔で、周りのひとは大いに驚いている。”これは《史記・李斯列伝》に記載で、後に秦朝の重臣となった李斯が未だ田舎の小役人の時代の見聞である。



 

城のトイレはどうだった?


 “城の上では五十歩で一つのお手洗いがあり、上厕は城の上のトイレのことで、溷(トイレを表す言葉)は城下の不潔な便所を言う”、これが《墨子・備城門》の中で記載しているが、歩哨に立った兵士に便利なように50歩で一つのトイレを作った理由だ。

トイレの漢字の変遷はトイレの変遷そのものだ


 お手洗いは古代には“清”、“溷”、“圊”と呼ばれており、この三文字が一定の程度の上でお手洗いの文化の歴史の変遷を描き出している。“溷は「豚小屋・厠(漢字源)」;圊は汚いところの為に、常に清潔に使い管理するという意味を込めた漢字だ。”この言葉が本論で言いたいことだ。


 “溷”はこの字形はすこぶる味があって、四角の中には豚の字がある。左側は三点は水で、古代の手洗いが皆豚舎とがごちゃまぜになって関係していることを表している。このような手洗いと豚舎が関連の仕方は、漢代にはごく普遍的の事になっている。
厠の中の豚の群れが出て来て、かまどを壊した。《漢書》のこの段で便所と豚を飼っているところの関係を述べている.豚が走り出て来て、宮中のかまどを壊した。ということは、古代の宮殿は豚の飼っているところと便所は繋がった様式の建て方と見ることが出来る。

宋朝時代の衛生管理のすごさ


 宋朝では公共便所の建設と管理が歴史上で歴代で最もよかった。“国史のカレンダーは道山堂の東にあり、北一間に浴室・便所と通路がある。“内は沐浴室と併せてお絞りがあり、水鉢、后は圊(水洗便所?)だ。清掃係はきれいに清掃し、厕板は汚れなく清掃され、トイレット紙は散らかりようもなく、水鉢は滓など滞りようもなく、お絞りは手あかなどなく、平地は濡れてない。”


  《南宋館阁录》の上述の記載から知ることが出来ることは、当時役人の生活環境はよく研究され、整備されていて、読むと感嘆をせずにいられない。宋代の浴室と便所が連なっており、かつ便所の後手を洗う必要性の上からも、トイレットぺーパーは散らかさず管理されており、こんな規範は現代のオフィスビルの衛生基準にも殆ど引けを取っていない。

明清の時代の乱れはなぜ?


 明清時期は、公衆便所は欠除していて、人が管理してなかった.どこでも糞便にまみれていて、文人は“都には厕はない”と叫んでいたものだ。


  “北京の公衆便所に入るものはお金を渡さなければならない。(今でもそうだが、昔からなのか?)  古人は皆代小便をする時、婦人も街で便器をひっくり返したりの上に、牛溲马尿等が加わり、増えることはあっても、減ることはない汚さで、いたるところで臭っていた。”《燕京雑記》の記載のように、街中大小便が溢れかえっていた。