中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

旅立ち

関空発 9:10 CA164便 上海浦東空港着 10:30 時差が1時間あるので実際の飛行時間は2時間半といったところある。
 ところでこの飛行機に乗るために、家を出たのが5時、関西空港に着いたのが7時20分である。2時間半の飛行時間のために、飛行場までのアプローチと同等の時間がかかっている。以前であれば国を出るのに大変な時間と労力が必要であったが、今では国内の移動のほうがもっと労力が必要になっている。不思議なものである。
 飛行機は240人乗りのエアバスだ。スチュワーデスは一人を除きすべて中国人である。中国人スチュワーデスの接待の態度は非常に悪いと聞いていたが、今回はそんなことはなかった。ま、あまり偏見でものを見ないことだ。
 ひと眠りすると上海浦東空港に無事着いた。
 エプロンに入って機内から外を見ると荷物の運搬レッカーが見えた。日本であればジュラルミン製で荷物に雨がかからないようにコンテナーにいれたまま出し入れすることになるが、こちらは個々の荷物を人力で運び出すようである。設備投資するより人力の方が安いのかもしれない。
 さて入国審査。この審査は予想に反して早い。中国の事務手続きがこんなに早いとはびっくりで(失礼)ある。f:id:China21:20080826215731j:image:right 手荷物の受け取りのターンテーブルの設備がまた大きいのにはこれまた驚きである。ともかく端から端まで見えない。自転車がいるのではと思うくらいだ。
 手荷物の検査も実に早い。14,5年前と比べると、その手際のよさとサービスの改善はやはり隔世の感がある。昔の中国と今では違うものと考えた方がいいのかもしれない。このように手際のよさに驚くこと自体が私の偏見が色濃いのかもしれない。今後どのように違うのか、どこが変わっていないのか、これからじっくりと見てみようと思う。
空港で50000円を人民に交換した。3000だった。
 交換レートは約1元16円である。この為替の仕組みについても、将来触れることになると思う。 
 さて出迎えを受け、無事身柄を預けることになる。まずは昼食をということで空港内の地下食堂のローカルの人向けのところへ連れて行かれた。セルフサービスで値段は高いもので20、30元で日本円で300円ぐらいの安い食堂だ。ボリュームはそこそこあった。
 食事がすむと一路揚州に向かう。車で約4時間。車はワーゲンである。街を走って気付いたことだが、車はヨーロッパ車が非常に多いということである。ワーゲン、BMWAudiなどなど。日本車は20%満たないのではと思う。韓国の現代も結構多いようだ。アメリカ車は殆ど見なかった。
 道はこの4時間ほとんどが高速であった。最低でも片側4車線の立派な道路がおそらく北京まで行っているのだろう。すごいインフラだ。この広い立派な道路に車がひしめき合っている。その上マナーが悪い。割り込み、追い越しなんでもござれである。
 ここから判断するに、今の中国はハード面はかなり整備されてきており、先進国並みのレベルといえるのではないかと思うが、ソフト面での立ち遅れがあるように思う。
 空港を出て約1時間走っても、まだ車がやたら多く、渋滞が激しく、空気が汚く空はどんよりしていて、日本のような青空が見られない。これは日本の高度成長の時期にダブって見える。
 延々と走ること3時間半、途中揚子江も渡るが、日本との違いは走っていて沿道で家が途切れることがないということである。
 ようやくホテルに着いて、ほっとする間もなく、部屋に電話がかかってきた。受話器をとると強いなまりの中国語が流れてくる。何を言っているのさっぱりわからない。こんな場合自分の経験からすると、ほとんどポン引きである。「わかりません」と強引に電話を切った。あとで聞くと、この電話の主は今回の受け入れ先の責任者で、ホテルのロビーから部屋に電話したものらしい。彼は私をピックアップするために来たということだ。
 失礼なことをしたが、本当にこれでやっていけるのか少し不安になった。
 歓迎レセプションに出席したメンバーは大学の幹部と地方監督官庁のトップばかりで、日常的に接するようなメンバーはいないようだ。そして彼らは「あなたの問題は私の問題。何かあれば何でも言ってくれ」と調子のいいことを言うが・・。宴会が始まると乾杯乾杯の連続で大変であった。見ているとビールがをベースとして、よいが回ると白酒という50数度の強烈な酒での乾杯が始まる。彼らは日本の焼酎のようにお湯割とか水割りのように薄めて飲むのは邪道と考えているらしく、ストレートでがんがんやる。中国流の乾杯とは、近くの人とは杯を直接鳴らすが、遠くの人とはテーブルを杯で二回ほど「コン、コン」とたたいて挨拶とする様である。「乾杯、献杯、返杯」の連続で、加減をしないとすぐに潰れてしまいそうだ。いやはや大変なところである。
 こうしてかくも長い一日はようやく暮れた。
 わずか1日で随分いろいろなものを見た。これまで中国についてはあまりいい話を聞くことができず、後ろ向きの話ばかりであったが、今回のわずかな時間ではあるが直接見た印象では、この悪印象はどうも日本人の偏見による色眼鏡的要素を背景としているのではという気がする。