中国旅行は中国と日本の絆の見直し

中国の人々や歴史を日本人との関係で捉えなおすよう心掛けた


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

無責任時代

 ずいぶん昔に植木等の無責任節という歌がはやった。昨日の夜福田首相が突然首相の座を投げ出したとのことである。安倍内閣に続いてこれで2度も連続して、「無責任」放棄がなされたことになる。責任っていったい何だろう。こちらではインターネットからでしかその出来事について知る由もないが、少なくともインターネット上では彼らが責任ある態度をとったとは読めなかった。少し前に声高に叫ばれた「自己責任」という言葉。この言葉はいまだ生きているのだろうか。それとも首相のように高いレベルには適用されず、私のような下々のものだけに適用される言葉なのかな知りたいものだ。
 それなりの地位の人間の行動にはそれなりの大義が伴うのが普通であろう。彼らの大義を説明して欲しいものだ。「あなたとは違う」というのではとても分からない。せめてどう違うのか説明をしてほしいものである。
 話は変わるが、言葉って本当に難しい。このページだけでも「無責任」「自己責任」「責任」という3つの異なる概念の「責任」が出てきた。こういうのを母国語以外の人に伝えるのは大変だ。日本人でも難しいのに。定義があいまいなのだろう。

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