中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

町並み

 夕食でも食べようとぶらりと街に出てそこここと見て歩いているうち、時代劇にも出てくるのではないかと思われる街並みに迷い込んだ。時代劇といえ中国の時代劇であるが、ともかく古い感じがする。決して豪華とは言わないし、優雅とも言えないがなんとも風情がある。
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 この風景は先ほどまでの古風な商店の賑わいがまるで嘘のように感じられ、そこの家の戸口から杜子春が顔を覗かせるのではないかという錯覚を感じさせる街並みである。








f:id:China21:20090815153934j:image:right これらの町並みの日が暮れると、壁や塀に電飾が飾られ、汚さが全てやみに沈み少し違った世界が現出する。
欧米の資本主義国の大都会で夕暮れとともにどこからともなく怪しげな人々が湧き出してきて、町の様相が一変するのとはまた違った様相を呈する。
先ほどまでの街並みにも今の日本ではできなくなった、鋳掛屋、かけつぎやだの仕立て屋だのといった古風な商売が軒を連ねていたが、この街角にはそれすらもない。面白い風景である。