中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

分かりません

 いつも学校へ行く道に靴磨きの人々が並んでいる。料金は一律2元である。何事も経験というわけで、靴はそんなに汚れてなかったが、やってもらった。年の頃は40以上の人が多いようだ。やってもらっている間、当然のことながらいろいろ言ってくる。どこから来たの?とか何をやっているのかとか、揚州にはどれくらい居るのかとか。気にいい連中なようで、にこにこと大らかにやっている。昔から古今東西「靴磨き」からくるイメージとはだいぶ異なる。ともかくじめじめした所がない。一人2元で我々日本人にとっては、かなり安いと思うが、町全体で人余り現象で労賃は低く抑えられているから、2元といえどもそれほど安いと感じていないのだろう。何しろ、学食で3元有れば、腹いっぱい食べれるのだから、ちょこっと磨いて2元確保できれば十分といったところかも知れない。生活費さえ安く抑えられれば、日本でも生活苦という感情は出てこないと思うのだが・・。
 そういうややこしい問題は別として、靴屋のおばちゃんとの掛け合いが面白い。言葉が分からなくても、いい加減なところがいい。
 こちらも適当に相槌はうっているが、面倒くさくなると「わかりません。」で打ち切りになる。これは我々のように外国人にとっては非常に便利な言葉である。分かっていても、「わかりません!」、ややこしくなったら「分かりません」。
 この前は「おなら」で返事したら、向こうは「今何んと云った」と、当然のこととして、「分かりません」。
 しかしおならでなくても、あまり「分かりません」を連発すると「お前さっき分かりませんと云ったではないか」と逆ねじをくらわされるからほどほどに。そういうときも、慌てず騒がず「分かりません」で押し通すのがコツ。変に分かってしまわないようにくれぐれもご注意あれ。