中国旅行は中国と日本の絆の見直し

中国の人々や歴史を日本人との関係で捉えなおすよう心掛けた


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

日本人の婉曲的表現


 日本にいるときはそうでもなかったが、こちらに来てどうも日本人と中国人の間にはかなり物事の感じ方というか表現方法というか、そう云ったものにかなりの開きがるような気がする。一口でいえば、こちらの人は、直截的であまり言葉を飾らないように聞こえる。
 たとえば極めて最初の授業だったが、まず学生に親しみを持ってもらわないといけないというので、かなりのリップサービスをした。それが受けて、学生たちは大喜びだったのだが、それをたまたま見にきたクラス主任の女性の教授に「少し喧しいですが・・。」といったところ、「不好!」の一言で、はいそれまでーよ。こちらは、すこしばかりあっけにとられた。
 f:id:China21:20090217072105j:image:right また街でこれもたまたま見かけたものだが、もう少し何とか書きようがあるだろうという感じのものが下記の写真である。但しこのことは、中国で使われていると同じ漢字が日本でも使われており、日本流に解釈しただけのことであり、今話題としてあげた直接的表現云々のカテゴリーとは全く異なることで、単に面白い写真というだけのことである。ちなみにこれは「分娩移動サービス車」とでも解釈するのだろうか。
 これ以外にも、中国では、皆さん喧嘩をしているのではという場面によくぶっつかる。しかし、喧嘩ではなく話なのである。状況判断から、婉曲的な表現を使えば、ああはならないではないかと考えるのである。
 これはいいとか悪いとかいう問題ではなく、日本人なら見たり聞いたりした人がどう受け止めるかをまず考え、言葉を選ぶ習慣が身についていて、そのために「何を言っているのだろう」とか、「きれいごとすぎる」表現が多く、逆に物事の本質を見失ってしまうことも多いような気がする。例えば、「公害」という用語がその最たるものである。この言葉によって、企業の責任が隠ぺいされ、物事の解決が大きく遅れてしまったのは確かではなかろうか。また少し前の「後期高齢者保険」にまつわる様々な言い回しである。
 勿論中国にもあるのだろうが、日本では、あまりに氾濫しすぎていないだろうか。
 これを聞いた人は「うん確かに、そう言えないことはなくはないような気がする」と。中国人はこれを聞くと、「啊??❤❣❢」となり、全く会話が成り立たないのではなかろうか。中国人の表現に付いては、もう少し自分の中国語にブラシをかけてから改めて取り上げることとする。
 言葉の問題は文化の問題で、両国民にとって越すに越せない「釜山港」である。

 

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