国慶節
この29日から10月5日までの一週間、中国では国慶節でどこもかしこも休みとなる。新聞でも黄金週間と称し、「旅行へ行楽へ」という文字が躍っている。
しかし街には、わずかにポスターが侘しげに貼ってあるだけである。毎朝行われている気功などの練習も国慶節のためにやるという雰囲気はまるでない。いつものように、いつもの通り行われており、これが数千年も変わらず続けられてきたのかもしれない。そのように思うと「たかが云々」という言葉もおろそかに吐けない様に思う。
しかし、国慶節というからには、国を挙げてのお祝があり、日本流に考えれば皆に紅白の饅頭が配られ、街々提灯行列が行われるかと思っていた、というより思い込まされていたというべきか。
同僚の教師に国慶節では何か式典でもあるのかと聞いたところ、そう云った式典はなく、みな休みになるので、旅行に行ったり、家族で行楽に行ったりするのだとの返事であった。それでは国慶節ではなく「国休節」ではないかというとそれもそうだなという返事であった。昔はいろいろ催しが行われたかもしれないが、現在では、形骸化してしまっているのかもしれない。日本ではどのような報道がされているのだろうか。
今は毒入り餃子汚染牛乳問題で、マスコミでは反中国一色とのことである。悲しいことではないか。日本のマスコミは中国というと、とにかく目の敵にする。さもなければ、自らの存在価値が見いだせないのだろうか。
しかし中国に来てみると日本で伝えられているような反日の動きはおよそ見当たらない。反日の拠点のように伝えられている南京ですら、そこに住む人々の間には反日の感情は表には出ていない。むしろ、日本人の自分にも温かく接してくれた。
日本では中国が共産主義政権だからと何もかも悪く言う気風があるが、そのような一面化は非常に危険である。しかし友人に聞くとNHKで上海を舞台とした反中国をテーマとしないドラマが最近放映されているという。また少し前にはやはりNHKでは三峡をほとんど1週間かけて取り上げということである。いいことだと思う。
危険なのはエキセントリックに煽りたてることである。そりゃ悪徳商人もいるだろう、おかしな官僚もいるだろう。私欲を肥やす政治家もいるだろう。しかし、彼らがその国民を代表しているわけではないのだ。日本も中国も同じではないだろうか。
今大切なのは、冷静に判断し冷静に行動することと思う。人々の営みは体制が変わっても営々として何千年も続けられて来たのだから。日本でも中国でも。
故郷の 野分を憂い 気功舞う
故乡的台风
Gùxiāng de táifēng
祈祷肃静起来的
Qídǎo sùjìng qǐlái de
今天练气功
Jīntiān liàn Qìgōng (李 白扇)