中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

テレビのスーパーと渡来のすすめ


 国慶節は国休節と前に書いたが、昨日は大々的に各地で式典が催されていた。
 テレビの各局は華やかな式典の模様を報じていた。
 ところで、こちらのテレビではナレーションに字幕が出されている。これは私のような中国語の初学者にとっては極めて都合がいい。つまり、字幕の通りのナレーションが入り(これは逆で、ナレーションの通り字幕が入るが正解)、発音と内容が確認されるからだ。
 中国人にとってはこのスーパーは必要なのだろうか。邪魔になるだけではないかと学生に聞いたことがある。その学生いわく、「私にはテレビで話されている普通語は分かりますが、地方に行けば、普通語が分からない人がいます。その人は字幕を見て内容を理解するのです。」
 確かに中国には70いくつの方言が存在している。主要方言は7種類あるといわれている。北京語(これを普通語としている)、広東語、客家語、楊州語・・・。これらの中には1億人以上の話しているのもある。彼らは学校では基本的に普通語で授業を受けるのだそうだが、家や友達とは当然の事ながらその方言で話される。とはいえ実際には、普通語を話せない先生も多くいるらしく、授業が普通語で行われているのか疑問である。
 昔私が学生のころ、福井弁を話す鯖江からきた学生と同居していたことがあるが、彼は非常にきつい鯖江弁を話す。あるとき彼が「うらー、ヒョウズンゴで話すずら。」といったことがある。(少なくとも私にはそう聞こえた)これは、今の楊州の人々に当てはまることで、誰でも自分の言葉が標準語そのものとはいかないまでも、非常に近いと思っている。従って、普通語で話してくださいと言っても、「自分は普通語の権化だ」のような顔をして言われると二の句が告げなくなる。これは人間の当然の認識なのかもしれない。井の中の蛙から外界に出て初めて客観的に物事を判断できるようになる。これは哲学で言えば認識論の初期段階であろう。
 難しいことはさておいて、これから中国にくる人にアドバイスしたい。
1)中国語を話せないと萎縮することは毛頭ない。彼ら自身、字幕を通してでしか理解し得ない人間が多数いるのだ。
2)しかし普通語を話せるに越したことはない
3)日本を出るときには、ポケットに入るくらいのメモ帳を準備しておき、すぐに出せるようにしておくこと。
4)分からなくなったら、臆することなく堂々と書いてくださいと言おう。「チン、シエ」で十分。ややこしいことはこの際一切抜きにして。堂々と。ここで話せない「私が悪いのだ」と小さな声で、ゴニョゴニョとなるともう相手のペースにはまってしまう。分からないあんたが悪いのだ、ぐらいの気持ちで十分だ。ここで間違うと「フにゃー」と馬鹿にした顔をされるだけである。
心配しなくてもいい。私も今はメモと鉛筆で何とかしているのだから。先日も「あんたは広東人なの、福州人なの」と聞かれたことがあるくらいだ。ましてや日本人なのだ。
5)簡体字でなくても、おおよそ理解してもらえるからいいが、できれば簡体字も少しは知っておいたほうがいい
 以上、要は紙と鉛筆とお金を持ってつべこべ言わずに来ることである。
 お金の話だが、こちらにくるときは多少余裕の金は持ってくること。VISAカードでも使えないものがある。事実東京三菱UFJのビザカードは使い物にならない。JCBはパスポートと共に提示すれば銀行(店ではない、銀行の窓口)で、使えるということ。但しこのJCBは経験がないので、人づてに聞いた話。ビザは私自身の経験だから「間違いない!」