中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

金木犀


ホテルのすぐ近くに、明朝時代の末期に生まれ(1602)、明が滅び、清にとって代わる時代を生きたこの地方の英雄(史可法)の墓と記念館がある。
f:id:China21:20090216125254j:image:left 彼は明の軍人?であったが、清に徹底的に抵抗をし、揚州城を死守すること約15日間の激戦のすえ、捕えられたが、捕虜になることを好まず、自ら命を絶っている。
日本の昔の道徳観でいえば、泣いて喜ばれるような人物である。江沢民氏は、2002年に史可法の生誕400年の記念式典で、彼を民族の英雄、愛国の士として、たたえている。
 漢民族にとって、清といういわば他民族(満州族女真族)に抵抗したからなのかはよく分からない。それならば、中国を漢民族、他民族という図式でとらえていることになるし、私にはもう一つはっきりしない。また宿題が増えた感じである。
 いずれにせよ、別によその国の英雄に文句をつけるつもりはないが、彼が歴史をどう動かしたかという観点からの再評価が必要ではないかと考えている。



 しかし、ここでは、やはり礼を尽くしておくべきだと考え、一句献上したい。
 今この丁寧に手入れされた庭園には、金木犀が咲き、あたりにいい香りを放っている。
私の家にもこの花が咲いていることだろう。ちなみに中国では金木犀のことを「桂花」というそうだ。庭番のご婦人に尋ねたら、そのように教えて戴いた。

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 木犀の 主斃れし 香ぞのこる
 国破在桂花
 英雄忧倒了遥远
 还现在飘香

  guopòzài guìhuā
  yīngxióng yōudole yáoyuǎn
  hái xiànzài piāoxiāng (李 白扇)