中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

粗は「あらだき」で召し上がれ

 世界中のどこのホテルでも、朝は一番活気にあふれている。夜は夜の雰囲気をかもし出すが、この朝の光景はなんとも言えない。
 出張できている人たちは、朝食を食べながらも、今日の顧客訪問の話で忙しい。食事がどこに入ったのか分からないのではと思うような感じである。
 また、団体の観光客は決まってせわしい。スケジュールに乗り遅れまいと、みな必死である。しかし皆さん食べるのだけはしっかりと食べている。そしてわいわいがやがや、ともかくにぎやかだ。
 又少数のグループも、いかに多く観光地を回るのかに頭がいっぱいなようだ。その為には、まずは、腹一杯にしておかなくっちゃというわけで、食べるわ食べるわ。すごい食欲である。皿いっぱいに盛り付けて、自分も腹一杯に詰め込み、子供まで「あんたちゃんと食べときなさい。昼ご飯食べれるかどうかわからんよ」といい、腹一杯にすることを迫る。それでもまだ足りないのか、持ってきた袋に、パンなどを詰め込み大変なものである。
 このホテルも例にもれず、大変な賑わいを見せていた。団体客の中に、珍しく日本人の親子ずれ客とそのお父さんの3人が入っていた。このようなことは非常に珍しい。この街で日本人を見ることが珍しいことであるが(といっても特定できないだけかもしれない)、このようなホテルには日本人観光客はこない。彼らは4つ星以上の豪華ホテルに行くのが普通である。なぜかというと、日本でツアーを組むときは、一流ホテルにする。そして、一般的な話だろうが、日本人観光客は、ローカルの団体とはいっしょにしない。言葉の問題があるからだ。
 さてこの三人、回りの客とはあきらかに空気が違うのだ。全く孤立しているというか、別の世界にいるように見られる。この三人の周りには目に見えない空気があって、そこで世界が分かれているのだ。恐らくこの状態は、彼らがバスに乗ろうが、名所旧跡をたずねようがその状態が続くのであろう。
 自分でもかつては同じ状態だったのかなと思うのだが、たとえ少し会話がなくても、もう少し壁を取り払うことはできないのだろうか。
 たまたま隣の席に座ったので、彼らの会話が当然のごとく聞こえてくる。実に最初から最後まで、悪口とあら捜しばかりである。ほれマナーが悪いの、歩きながら食べている、大声でしゃべる、直ばしで採るだのまあよくこれほど出てくるものだなと感心をしながら聞いていた。
 中国人ガイドはにこにこ笑いながら相槌を打っていたが、彼にしてもあまりいい気はしなかったのではと考える。
 多分彼らが日本に帰って中国旅行の感想を聞かれたとき、最初にこのような感想が出てくるに違いないと思ったとき、なんと悲しい、なんと貧しい品性なのかなと思いやらずにいられない。
 彼らは何をしに中国にきているのだろう。観光をしに、異国の文化に触れる為に来ているのではないだろうか。それならそれで、それを想いっきり楽しもうではないか。
「あら」はいくら探しても「あら」なのだ。本当に美味しい部分は別にあるはずだ。そしてあらを探すなら生で食べるのではなく、「あらだき」のようにちゃんと料理して食べようではないか。
するとそこには今までになかった素晴らしい世界が見えてくると思うのだが・・。