中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

中国女性讃歌


昨日、朝3時までテレビを見ていたので、朝目が覚めたのが8時、慌てて食事をして、もう一度寝ようとベットに入ったが、目が覚めたのが、午後3時であった。
 ホテルから歩いてそこそこの距離のところに、常設市場(常設といっても、屋根があるわけではなく)があってそこを覗いてみた。そこは、屋台が立ち並ぶ、ある意味では原始的な市場である。新鮮な(のように見える)野菜や魚その他食料品はかなり揃っている。
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今、日本では食の安全性が大きな問題になっており、中国の野菜も農薬漬けになっているとの話になっている。しかし、こちらに来て、彼を見ていると、彼らに農薬を買い、それをせっせと撒くだけの余裕がはたしてあるのだろうかと思ってしまう。逆な意味で、安全ではないかと、農薬を使う余裕がないのではと思ってしまう。日本に出荷する野菜などを扱う業者は、それだけ高く売れるのだから、資本を投下して、労働力を割いても採算は合う。しかし、この市場で売っている零細業者には、とてもその余裕があるように思えないのである。これもどうしてもわからない問題の一つである。
 この市場から少し離れた場所で、一種のお好み焼きみたいな物を路頭で売っていた。夕方にもなったので、一つ買って帰ろうと、一つだけ注文した。その時に、いくらだと云った時、彼女は3と答えた。それで良しということで、見ていると3個も作ってしまった。出来たときに、「全部でいくらか」ともう一度確認のため聞くと6元という。こちらは一人だから3個もいらないから、一個減らしてくれというと「もう作ってしまったのでだめだという。」そこで、10元を財布から出そうとすると、まるでひったくるように奪い取ってしまった。4元おつりを返せというと、4元返すと同時に、今度は3個の商品から一個自分の方にしまいこんでしまった。おかしいじゃないかと抗議するといきなり今までの優しそうな雰囲気ががらりと変わり、大声でけんか腰で、喚き散らしてくる。周りも何事だという雰囲気で集まってくる。言葉の行き違いも大いに考えられるし、いい年のおっさんが、1元2元のことで、喧嘩するのも情けないと考え、そこは引っ込んだ。してやられたという不愉快な思いで、ホテルに帰り、ビールを片手に食べてみたが、かなり脂っこくて、あんなもの3個も食べられたものではない。一個半食べたところで、残りは捨ててしまった。結局、「けったくそ」の問題だけが残ったが、2個でよかったと思っている。しかし、これで腹を壊したのでは、話にもならない。
 しかし、こちらの女の人は強い。まったく別の時であるが、一人の学生のような女の子(あれはもう「子」という表現を超えていたが)が輪タクの屈強な業者仲間3人に囲まれて、大声でやり合っていた。たじろぎもしない、すざましさであった。
 しかし、彼らも男の友達の中では、しおらしくも、かわいくもある女性を演出するから不思議である。
むかし、私の学生時代に、バンカラな学生たちが寮生コンパなどで酒を飲むときに、必ず出る歌にデカンショ節がある。年配の方はご存知と思うが、最後に逞しき中国の女性たちに、心から畏敬の念を持ってその一節をお送りする。
 「美人美人と威張るな美人、美人は屁もする糞もする、よいよーいのデッカンショ」
 また、このサイトの品を落としてしまった。後は、後悔の念で眠れないのである。