中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

これも十数年前はついぞ見かけない光景であった。


 最近といえば、怒られそうだが、私が12、3年前に中国に行ったときに、見聞きしたことと、いま目の前で起こっていることの間には、ずいぶんとギャップがある。
 まず、交通の状況の様変わりである。以前は自転車の洪水だった。信号が変わると(信号もあまりなかったので、変わるも変わらないも、全く関係なしに)自転車は蟻のように流れている。その中を自動車がわがもの顔に走っていく。歩行者などお構いなしという走り方だ。
 この基本構造は全く同じである。現在はこれに電気自転車というものが登場し、自転車にとって代わるとまではいかないが、かなりの割合を占めている。自転車は新品で400元〜500元ぐらいで売っている。電気自転車は1500元〜2000元で売っているようだ。
 ガソリンで走るものはそれが、50CCであろうが、ともかく、免許が必要だが、この電気自転車は免許が必要でないため、猫も杓子もこれでさっそうと走っている。
 もっとも猫が自転車に乗って走っているところを見たことがないし、ましてや杓子がどのようにして自転車に乗るのか想像もつかない。どなたか見たことがある人は教えて戴きたい。おそらくギネスブックに登録間違いなしだろう。
 このように非常に簡便に運転できるし、速度も30km/hぐらいしか出ないようになっている極めて平和な乗り物であることには違いないが、これが固まると様相が一変する。夕方空中を飛ぶ雲霞みたいな物であるし、高速は出ないというもののそこそこのスピードは出る。
 そこへもってきて中国の道路は広い。しかも太古の昔からの都市計画がきちんとされているため、誰もが道路は自分のものだという発想なのか、ともかく縦横無尽である。私から言わせれば無秩序そのものである。
 中国ではインフラ(都市計画、治水、港湾、水運などの分野について)が整っているようであるが、それを使うソフトが整備されていない感じである。一方日本では、インフラは一般的に脆弱だが、ソフトは完備されている。従って中国がこの大きな器をうまく使いこなすソフト(個人の意識も含め)を完備すれば、日本とは比べ物にならない可能性を持つことができると思う。この国はそういう国なのである。
f:id:China21:20081014160852j:image:right さて、警察(こちらでは公安という。ついでに言うと日本では平たく言うと、警察の中に公安がある。中国では公安の中に警察がある。これ間違いない!)もさすがに、何とかしようと考えたのか、予算がなくなってきたので賄うためかは知らないが、めたらやったら取り締まりをする光景が見られる。
これも十数年前はついぞ見かけない光景であった。そして私の印象はスマートであるということだ。たぶん警察の存在がの云う外的な存在になってきたためだろうが、制服、方法などからみても、近代化されたものだと感心している。
 しかし、取り締まられる方は、決してスマートというわけにもいかず、大体みんな食ってかかるようだ。
そりゃそうだろ、一日の稼ぎを国に持っていかれたんじゃ、たまったものではない。彼らも必死である。