大明寺
「牛にひかれて」というわけではないが、学生に案内してもらって、大明寺にいってきた。
この寺は揚州市内にある。市の中心からは、5番の路線バスが通っている。バスで約15分、この他にもいくつかの路線バスがあるが、市の中心からのものはこの5番だけだった。バスが不安な時には、タクシーで8元で行ってくれる。揚州のタクシーはもちろん英語は通じないが、ぼられることはまずないと思うが、用心に越したことはない。
この寺は瘦西湖という3大庭園の中にある。春秋戦国時代にはすでにあったはずだから、2000年は優に経っているはずである。清朝6代皇帝の乾隆帝が、ここを3度訪れており、その度に碑を立てている。この乾隆帝はずいぶん書が上手だったと見えて、各地に書を残している。ちなみに瘦西湖自体は、清朝時代に作られたというから庭園は400年前のものである。ちょうど日本の関ヶ原の合戦をやっているころである。
お寺は少し小高い所に立っていて、バスを降りて少しだけ歩いて登らなければならない。麓には線香売りがずらっと道端に陣取って声をかけてくる。中国の寺に行くとよく見かけるが、5、60cmぐらいの長さで、直径3cmほどの線香の束を売っている。これは日本お寺で見かけるものと同じように使うが、日本と少し違うのは、彼らはこれに火をつけ、て彼らはで掲げたり下ろしたりしながら、三拝四拝する。参拝客はそこそこ買っているようだった。日本と比べれば、大分信者の割合が多い気がする。つまり中国の人々は日本人より少しだけ信仰心を残しているのかな。日本ほど割り切っていないのかなという感じがしている。
これが、大明寺の正門である。この門の左手手前に入場券売り場がある。大人ひとり45元であり、中国の物価水準からみると、信じられないほどの値段と思う。学生であれば、5日は生活できるお金だあるから、なぜこれほどの値段に設定したのか・・。
案内の学生は、線香は、「信者でもないので、買いません」という返事であった。信仰するものはあるのかと問うとないという。道教でもない。では何かというと無宗教ですとのことで、あえて言えばマルクス主義ですとの回答であった。
話はお墓に及び、中国では死んだ時にはどのようにするのかと聞くと、ずいぶん以前は土葬だったが、現在では火葬だとのことである。お墓は大体建てるようである。この辺りはまだ土地にゆとりがあるので、みなさんちゃんとしたお墓を建てるようであるが、香港に行くと日本でもあるようにお墓を建てるのではなく、お寺に頼んで骨箱のマンションのような管理で預かってもらうのだとのことであった。ただ聞き逃したが、お寺かどうかははっきり分からない。どうも現在ではお墓とお寺とは別になっている感じがしている。
この大明寺では、この寺で亡くなった僧侶の骨は舎利殿に祀られるようであるが、一般の人までは受け入れていない感じがする。
今日は読経の声はしなかったが、前に来た時は、信者が僧侶と一緒になって読経を上げていて、それなりに雰囲気があった。特にうら若き美しい女性が信者の中でただ一人立って、一心にお経をあげている姿は、印象的であった。これは絵になる風景である。お寺の方も観光を意識して、このような信者を前面に出しているのかもしれない。
お寺というのはやはりただの観光ではなく、それなりの精神的裏付けが必要とされるものかもしれない。
境内には、鑑真和上の記念館があり、日本の国宝である和上の座像の複製品がおかれていた。日本と中国の友好のシンボルとして大事に管理されている。
彼の残した足跡を思うにつけ、感慨もひとしおである。
規模は中国にしてはそれほど大きいものではなく、むしろこじんまりとした印象を受けた。日本の大伽藍が立ち並ぶのとは少し違う。革命以降、或いは文化革命以降この辺の雰囲気も変わったのかもしれない。つまり信者は多くお寺に来る人は線香を買い、お祈りをするが、お寺の雰囲気は観光と宗教とが切り離されている気がしてならない。
中には精進料理を食べさせてくれるレストランがあり、中国ではそこそこ有名だが、またの機会に取っておくことにした)
「秋天に 読経の響き 大明寺」
在秋天回响
zàiqiūtiān huíxiǎng
念经大声更大听
niànjīng dàshēng gēngdàtīng
永远大明寺
yǒngyuǎn dàmíngsì
(李 白扇)
九重塔、名前は「棲霊塔」
(塔に上るには別途10元必要である)