中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

心の隙


 少し大仰な表題であるが、要は飯屋の話。
 450万の人口をもつ揚州市に一体どれくらいのレストランや食堂があるのかタウンページを調べてみた。ホテルも何もかも入れて(というより区別がつかないのだ)80そこそこしかカウントできなかった。このタウンページに掲載されているレストランやホテルとは少なくともかなり大きなものばかりであった。結局わからなかったが、非常に小さないっぱい飯屋の類まで入れると万や2万ではきかないと思う。おそらく5万を優に越してしまうのでは?
 あくまでも想像の域であるがその内の99.9%は中華料理を扱っている店で、洋食屋や日本食屋などは殆ど見かけない。
 かなり新しい作りで、「肯徳基」「麦当劳」という看板のチェーン店が一番の目抜き通りに並んでいる。それも、数店である。言わずと知れた、ケンタッキーとマクドナルドである。手軽さと清潔さを売りにしており、そこそこ繁盛しているようだ。客層はやはり若い人がほとんどのように思う。
 少なくとも中華でないファーストフード店はこのくらいのもので、後は、ごく最近開店したばかりの少し高級なステーキなどを扱うレストランが1、2軒だ。
 少し洋食っぽいなと思って入っても、メニューを見ると中華料理しか置いてなかったりする。無理やり注文すれば出てくるのかも知れないが、およそ店の「姑娘」が理解できないだろう。
 たまに「日式」と書いてるので、期待して頼んだら、およそ似ても似つかぬものが出てくるのが落ちであるから、はじめから期待しない方がいい。
 大体「食の国中国に来て、和食を頼もう」なんて言うのが動機が不純であるというと言い過ぎであるが、やはり中華一色である。
 中華の味としてはそこそこで結構だが、これが毎日となるとやはり食傷気味なところがある。
 秋も深まり、少ししっとりしてくると、おでん肉じゃがを熱燗でやりたくなるもので、足が自然にさ迷い歩くことになる。しかし、こうして探し当てて、ここならまあましかと思って入ると大体とんでもない店に入るのが落ちである。
 これが、海外で生活する時の注意すべき「心の隙」である。まだ食べ物だからこれで済むが、色気を求めるようになるととんでもないことになる。こんな話は嫌というほど聞いている。くれぐれも「小心」。
 ところでコンビニで「寿司の弁当」(それも巻き)を見つけた。いかにも不味そうで貧相な寿司が7、8個入って50元。これは高い。50元有れば、上等のセットメニューの料理をたらふく食べることができる。これも人の心の隙に付け入る「誘惑」。しかしこの手の誘惑は、こてこてに化粧をした女郎屋のお姉さんが店に並んでいるようなもので、あまりいただけません。