中国旅行は中国と日本の絆の見直し

中国の人々や歴史を日本人との関係で捉えなおすよう心掛けた


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

箸と蓮華


 こちらの食堂に入るとまず箸と蓮華が手渡される。箸はこちらの言葉で筷子と言い、蓮華は调羹という。
 昨日チキン・カレーを頼んだ。珍しく?普通のカレーが来たが、カレーの上に青菜が乗っていたところが中華らしい心づかい?であった。さてそれでいざ食べようとしたが、カレーを箸では食べにくいのだ。それではというわけで、蓮華で食べようとしたが、これまた食べにくい。蓮華では深すぎて底の方まで歯が届かないので、蓮華の底に残ってしまう。
 中国では(もっともまだ僅かなところしか行っていないが)ともかく箸と蓮華はつきものである。これは、ある意味では合理的である。何でもこの二つで済ませてしまえる。いろいろの種類の食器を揃えなくていい。
 しかしこれは店側にとって都合がいいだけで、客にとっては都合がよくない。
 イソップの狐と鶴の話を思い出す。
 

狐が鶴を招待した。ところが狐は意地悪で鶴に出す食事を平たいお皿の上に貝を載せて出したが、鶴は食べるのに大変困った。その後、鶴はお返しというわけで狐を招待した。鶴はこの前の仕返しをしようと首の長い器にスープを入れて出した。

 なぜ、客の立場に立ってものを考えないのだろうか?経済性だろうか。確かに、利便性と経済性は相反するものがあるが・・。
 客の多様な要求に応えるだけの経済力と生産力は、今の中国には十分備わっているはずだが・・。そこまで話を広げなくてもいいが、その食堂は立派な構えでそこそこ大きいのだ。
 私のホテルの部屋のキーはあまり良くなくて、しばしば締め出されてしまう。そこで、その都度、ルームサービスの担当者を電話で呼び出し、対応してくれと頼む。一度は、「あなたの部屋のキーカードは不良です。下のフロントに行って、ロックを解除してもらってください。」とのたまうではないか?
 ちょっと待てよ!ルームキーはあなたのホテルの設備だろう?それが不良なら、客に下のフロントまでなぜ行かせるのだ。ホテル側で対応するのが当たり前ではないかとねじ込んで初めて対応してもらったこともある。客が外から疲れて帰って、下のフロントまで行かされる苦痛は大変なものだ。従業員はそのあたりを分かって戴けないようだ。
 こちらに来てそのようなことが少し多いのではと感じている。もう少し、この身勝手な姿勢の矯正が必要だと思うのだが・・。
 労働者の権利は重要だ。よく理解できる。しかし、顧客との折り合いをいかに付けるかも重要ではないだろうか?

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