中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

実に13年ぶりの上海だ。以前に来た時にそれほど深く入り込んだわけではない。一介のビジネスマンとして上滑りで眺めただけだ。しかし、それにしても変われば変わるものだ。

 以前訪れたなんとなくエキゾチックな雰囲気は今は伺えない。昔はまだ中国だなという感じの街並みも今は、東京かロスアンジェルスかと戸惑うばかりになっている。
 それと同時に昔あった親しみは今はなく、何となくよそよそしい。街ゆく人も忙しげに行き交うばかりで、田舎から出てきた人間に一顧だにしないカラカラの乾いた雰囲気がある。それだけに、若者にとっては刺激的なのかも知れない。スーパーに行けばそれこそ何でもそろう。金さえ出せば何でも買える世界がそこにある。街の広告も一段と垢ぬけている。大阪のような泥臭さはない。(くさしているわけではない。私はそれが好きなのだ。)
 町を歩いていて、ここなら昔ワールドカップの時に突如として起こった、反日デモが起こりうる素地を持っている様に思う。揚州ではおよそ起こりえないものがここにある。(これはあくまで独断と偏見であり、私の見方であるので、間違っているかどうかの議論はお赦し戴きたい。)
 朝から秋の冷たい雨がそう感じさせているのかも知れない。
 しかし揚州にある人懐っこさはここにはない。完全にビジネスと観光の街である。
 地下鉄に乗ろうと駅を探した。何人かに道を尋ねようとするが、こちらが口を開くよりも先に、「分かりません」と逃げる。これはまだいい方で、全く無視をする人も3人ばかりいた。自分のかっこうはそれほど彼らにとって外国人風なのかしばし自問自答をする。
 ともかく悪戦苦闘から一日は始まった。
 気を取り直し、地下鉄までたどり着いた。まだ新しい立派な建物である。以前東京で地下鉄なのに地上にあると揶揄されたことがあったが、こちらでは結構地上駅が多い。
 地下鉄に乗るには、コイン専用の自販機があるのでそこで買う。コインがなければあらかじめ両替所がその近辺にあるので両替をしてもらってから自販機に向かう。
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システムはかなり充実しているので、うまく使えば、かなりの割安で目的に近くまで行きつくことができる。ちなみに在上海日本総領事館は、3号線の「红挢路站」から歩いて15分ほどのところにある。駅からが分かりにくいので、タクシーにされた方が無難かも。
 自販機では自分の行こうとする駅が何号線にあるのか、まず知っておかねばならない。
その辺の係員に尋ねるのが手っ取り早いが、ここでものを言うのがやはりメモ帳だろう。ともかく何号線にあるのか分かれば、自販機の画面の下の方にある各号線のバナーをタッチすると、画面が変わってその所定の号線の路線図が出てくる。その中で目的地の駅をタッチするといくらであるか表示される。コイン投入口からコインを入れると、入れた枚数が表示され、所定の金額に達するとカードが出てくる。
 そのカードを持って改札口に行き、右手の仕切りの上にある丸い表示の箇所にそのカードを当てると改札口が通過できるようになる。この際なにも表示されないので、戸惑うがバーが回転でき通過できるようになっている。
 もし開かなければ、それを飛び越すことである。駅員が飛んでこなければ幸いであるが。
降りる時はそのカードをカード挿入口に入れると、これまた通過できるようになっている。
 この仕組みはまだ中国人自身にも慣れていない人が多いらしく、改札口でカードを持って思案している人をよく見かける。
 物価であるが、かなり高いような気がする。販売単位が少し違うので、細かいことは分からないが、大阪並みかも知れない。
 中国人の購買力平価から考えた場合、一人で生活するのはかなりしんどいだろう。とすると上海の平均給与は他の都市と比べると5割ぐらいは高いのかも知れない。そのバランスをどう取るのか。この国内南北問題をいかに解決するのか、私のような外国人から見ても難問題だと思う。
 こんなことはめったにあるもじゃないと、上海の高級住宅街、商業地区、下町と雨の中をともかく歩いた。万歩計を帰ってみると22000歩になっていた。
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 こうしてみると次第に街の息遣いが見えてきていいものだなと感じてくるが、しかしこわばった心はまだ解けそうにない。これは、アパートの洗濯物干しである。シンガポールのように1本を突き出すのではなく、何本かの竿を突き出して支えるようになっている。これでは6尺ふんどしのような長尺ものはどうやって干すのだろうと心配になる。


 歩いて不思議に感じたことは、この街は非常に良く区画されていて、その区画単位は番地であるが、その番地の区画は塀で囲まれ、門があり、門の際には「弄」という文字が書かれている。辞書を引くと(小学館「中日辞典」)

【弄】lòng〈方〉(日本語でロンと読む)小路.横町.(表通りの名と地番をつけて“……弄”(〇〇番地小路)として用いることが多い.主に上海などの中国南方で使う.

とある。それほど高級でないような区画でも、守衛がいたりする。一つの生活単位になっているのか。上海の生活を見る上で重要な要素かも知れない。
 秋雨のおかげでこんな辛気臭い話になった。明日は晴れれば、いい話が出来ると思う。
再见!