中国旅行は中国と日本の絆の見直し

中国の人々や歴史を日本人との関係で捉えなおすよう心掛けた


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

上海は辛亥革命当時、孫中山が拠点とした街であり、歴史的に重要な位置を占めている。

 孫中山の旧居を尋ねるべく、タクシーに乗った。時間的余裕があれば、地下鉄がいいのだろうが、不案内なうえ、時間がないときている。2時39分の列車を逃せば、すこしやっかいなことになる。
 タクシーは鉄道駅から、約20分で25,6元はかかったと思う。思ったより町中にあり、少ししっとりした雰囲気の街のたたずまいであった。
その旧居跡は、その一角にあり、番地で言うと「香山路7号」というところにある。
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入り口には彼の坐像があり、花壇に囲まれて座っている。その銅像のすぐ右にはきれいに手入れされた便所がある。流石国家的な庇護のもとに管理されているだけのことはあり、今まで入ったどのトイレよりも綺麗であった。
孫中山先生はここには1920年から移り住んだということである。部屋数は本当にいくらもない質素なもので、こんな所であの困難な状況の中で生活されていたのかと感心した。


当時の政治状況
1894年  日清戦争
 列強日本、ロシア、ドイツ、イギリス、フランスなど中国に侵略
1911年  辛亥革命
1912年  清朝滅亡
1914年  第一次世界大戦
1915年  日本、中国に対し21カ条要求を突きつける
1917年  ロシア革命 
1919年  5・4運動勃発
1921年  中国共産党の成立
1924年  第1次国共合作
1925年  孫文死去
1927年  日本、山東出兵
1928年  張作霖爆死
1932年  上海事変
そして日中戦争へとつながっていく。

こうしてみると1840年代のアヘン戦争を皮切りに約一世紀もの間、中国が列強の侵略によって国土を踏みにじられ、どれだけの損害を被ったかがよく分かる。


 彼は本当に質素な方で、相当のお客さんがあっても、食費は1日数十元以内に抑えられていたとのことである。1階の応接間は、当時のままの保管されているというが、小さな部屋で20畳に満たない程度であった。この部屋で、共産党の陳独秀と会談し、第一次国共合作を打ち立てられたとの事で、ここで「歴史は動いた」といえる。
 各部屋には警備の人が立っていて、写真は残念ながら撮れなかった。
 また、書斎は勿論のこと廊下にもぎっしりと詰められた書架があった。かれは無類の読書好きということで、「僕の一生の贅沢は革命を除いては、読書だ。一日でも本を読まないで、生活できない」といっている。
 奥さんの宋慶齢とは仲が良かった様で、彼女は孫文亡き後も孫文の意志を継いで、革命の為にその生涯をささえている。この奥さんは3人姉妹で、一人は孫文、一人は蒋介石、一人(宋 靄齢)は中国国民党の幹部と結婚しており、すごい三人姉妹である。昔NHKで放映された「三人姉妹」という大河ドラマを彷彿とさせる。
f:id:China21:20090102130532j:image:leftf:id:China21:20090102130531j:image:left住居とはいえ、ある意味では公的な場所であるのに対し、この家に隣接した小さな庭とテラスを備えた別棟がある。彼がここの椅子に座って、静かに庭を眺めながら、策を練っていたのかと思うとまた感慨ひとしおである。

 やはり、このようにして跡付けをすればするほど、彼の人格がしのばれ、彼に一層の敬愛の情を感じるのである。上海では、何よりもここを訪ねられんことを希望する。




f:id:China21:20090102131215j:image:right今回は時間の都合で、魯迅記念館しかいけなかったが、この記念館以外に「魯迅旧居跡」というのがある。孫中山と同様、旧居跡を訪ねるのも又感慨ひとしおである。
魯迅記念館は地下鉄3号線虹口サッカー場の近くにある魯迅公園の中にある。魯迅公園は市民の憩いの場所のようである。この時はたまたまコーラスのサークルが練習をしており、その歌声が流れていた。