中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

冷や飯

 近くの店で夕ご飯には比較的良く行く飯屋がある。味は普通で、対応もまあまあであった。昨日も行き、今日も飯屋を探すのも面倒なので、そこへ行った。
 おかずとご飯の小を注文した。小でも大でも1元である。日本円で16円。ところが来たのは冷や飯である。飯を温かいのをくれというのも面倒なので、そのまま食べたが、おかずが余ってしまった。すると店の従業員が飯のお変わりはいるかと聞いてきた。冷や飯ならいらねえよと断ると、温かいのがあるが食べるかと聞くので、「おいおい、あるんか?それなら最初から出せよ」と思ったが、お代りを注文した。ここまでなら許せる。
 こちらが食べ終わる頃、店の従業員の食事時間になったと見え、隣の食卓にごちそうを並べて、なんと大きな桶に温かいごはんを山盛り入れて、食卓にドンと置くではないか。
 「おい、こいつらはこんな汚いことをするんか。客には冷や飯で金を取っておきながら、自分たちは温かい飯で気持ちよく食べる。それはないだろう。」
 そう云えば昨日も冷や飯だった。しかも昨日のは固かった。こんなまずい飯を食わせてと思ったが何も言わずに食べたが、それが悪かったのかも知れない。つまり彼らはこの客は少々冷たい飯であろうが、まずいおかずであろうが、文句を言わないと思ってしまったようだ。つまり教育が悪かったとも言えるが、この冷や飯にお金をとられるのは何とも納得いかない。
 明日からまた新しい店を探さなければならない。いろいろ行くのだが、なんでこうも居心地の悪い店ばかりなのか。
 思うに彼らは内と外との使い分けが非常にはっきりしているように思う。つまり内なる関係に入り込めたら非常にいい。しかし入り込めなかったら今日の出来事の通りになる。
 いちばん内側は彼らにとっては家族だろう。その外側に知り合い、同窓、仲間そして同郷さらに中国人社会へと広がっていく。
 華僑があれほど強い団結力と力を発揮するもとは、彼らのこの内なる繋がりがその大本ではないだろうか。日本人社会はこうはいかない。お互いに気の遣い合いはするが、心底から信じて動くことはそんなになく、ちょっとしたことですぐに足の引っ張り合いになってしまうし、「あいつは俺に挨拶がない。」「えらそうだ」とかとにかく、ものの本質をとらえず、目先のちょっとしたことで右往左往してしまうところがある。
 日本人でもこの障害を乗り越えると本当にいい仲間になるのだろうが・・。
 矛先が別の方へ行ってしまった感じがあるが、今日の食堂の「老板」の態度は許せない。