中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

3ヶ月の総括

 総括などという言葉は、浅間山荘事件以来、禁句になってしまった感がある。しかし、人間その時々で、過去を整理しすることは大事なことである。そして一旦整理してしまうと、自分の本棚に入れ、あとはそれに拘泥しないことである。これが、私の処世訓だ。こんなえらそうなことを言ってもなかなか出来ないのが世の常。しかし、ここは一つ振り返ってみることにしよう。
 こちららに来て3ヵ月が過ぎた。基本的には何もなく、無事に楽しく生活している。こちらに来る前は、「南京に近いところであるので、反日感情がつよいだろう」とずいぶん脅かされてきた。
 これらの忠告は、実際にこちらで生活した上で、その実体験から出ていることもあるだろうが、大部分は、一種の状況判断に基づくものが多いのではなかろうかと感じている。もちろん人々の心のうちはわからない。今後ある状況が突然変化して、いままで隠蔽されてきたことが噴出してくることだってあるだろう。その点では十分な注意が必要である。
 しかし、この三ヶ月間いわゆる民族や人種を理由とした反発や差別というものは感じることはなかった。もちろん売り手と買い手という利害の反するものの間でのぶっつかりあいはあった。普通の話の中で、「おまえの言うことは、よう分からんわ」といっていた人も、こちらが日本人と分かると、「そうか、そうならし方がないな。ところで云々カンヌン」とむしろそれまでとは違った受け止めをし、親しく話をしてくる場合ばかりであった。この地は南京に近いと言え、田舎町、日本人も極端に少ないこともあるもの珍しさからかも知れない。
 しかし、南京に言ったときもそうであった。かれらは、温かく迎えてくれた。
 過去のことは過去のこととして、批判はする。しかし現代は現代としてそれと切り離して考えているのではないだろうか。
 ワールドカップなどの苦い思い出があるのも事実だし、中国人の悪の輩が日本に来て犯罪を重ねたことも事実である。しかし、そう言った犯罪や過激な行動はどこにでもあることであり、それを全部として捉えたり、誇張したりしないことが大事なことである。どこにでもあるから見過ごせとか言っているのではなく、その時々に厳しい対応と対処がなされるべきだが、だからといって中国人全体がそうであるかのように考えてしまうのは、トンでもない間違いである。
 日本人の中には、中国人と見るとなぜか反発してしまう人が多いようである。
 日本人と中国人の間に存在する、無知と先入観こそがもっとも危険な代物である。過去の為政者がこれを利用して、戦争を推し進めたことも数多くあることを思い知るべきではなかろうか。