中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

ピンイン

 わたしは日本語を媒介語である中国語を使って教えている。私が自分の言葉で話をしたり、十分準備をして授業に臨んだ時は問題がないが、準備が不足なまま、中国語の文法編を読んで聞かせたりするとき、学生達は「??」という顔をしている。自分の中国語はまだ、彼らの頭にすいすい入っていくほど立派なものではないのである。そればかりか時には彼らの思考を完全に妨げてしまうこともあるようだ。
 こちらに来る前に多少中国語は勉強してきた。その時、ある人は「中国語は四声が非常に大事です。これがうまく出来ないと相手に通じません。」またある人は、「そんなことはありません。中国には70の方言がありますが、彼らはそれでも意思疎通をしています。」と、どちらが正しいのかは分からないが、自分はおのずとEasy Goingの方を選択して、結果的にはピンインはあまり考えずに勉強した。というよりそんなに余裕はなかったのである。
 しかしこの巨大な田舎町に来て、やはりピンインの重要さが身にしみている。
 これは旅行者のレベルと滞在者のレベルではその必要度は全く異なるのである。何を言っても、通じないのである。
 そんな時は仕方がないので、学生にその該当部分を読ませたりする。すると学生たちは「腑に落ちた」顔で、「明白了!」と答える。
  それなら媒介語を使わないで、日本語だけでやりなさいよという声も聞こえそうであるが、世の中、そんなに簡単に単純化出来ないから悩ましいのである。
  しからば、大学に「文法の説明はできませんから、一人教師を付けてください」と頼めばという声も出そうであるが、一旦引き受けた以上、そんな中途半端なことは口が裂けても言えない。わたしは新米でもプロである。
 であれば、授業はその中で完結するしかないわけで、残された道はただ一つ、教科書にあまり頼り切らないで、自分の言葉で説明することである。 自分の授業は自分で完結することだ。
 まだしばらくいばらの道は続きそうである。