中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

クリスマスイブ

 今日はクリスマスイブである。こちとらクリスチャンでもないし、一緒に食事をしてくれる人もいないので、いつもの通り補講をしようとしていた。
 ところが直前になって、晩餐へという御誘いを戴いたが、「学生には補講があると伝えているし、結構です」とお断りしたが、「それなら、少しだけ早めに切り上げなさい。待ったあげるから」と言って戴いた。そこまで言われるとお断りするわけにはいかないので、補講は少し早めに切り上げることとする。
 さすがに学生も6割しか来ない。理由は親と食事をする。友達と食事をするなどである。親と食事をするというのは、これは拒否するわけにはいかないが、こっちも誘いを断ってやっているので、せめて一報欲しいものだ。
それはともかく、今年最後の補講を早めに切り上げて、会場に行った。揚州にこんなところもあるのかというような店であった。
 店員はクリスマスということで、サンタの服装で出迎えてくれた。このぐらいの店になると、店員には美人をそろえている。楊貴妃がサンタクロースの格好をしているのかと思うくらいの美人がずらり。
 出てくる料理は日本でいうしゃぶしゃぶであるが、グザイはさすがにいいものが出てくる。肉は極上の霜降り肉、昨日食べたぶっかけ飯のすじ肉とはものが違う。昨日は歯が折れそうであったが、今日は口の中で柔らかく舌に絡まる。魚は揚子江で採れたはぜに似た魚である。それもかなり大きい。白身の魚であるがこれまた脂が乗ってうまいことこの上なし。極上のサーモンこれがまた旨い。しかし見ているとこのサーモンには皆さんほとんど手を付けないようである。やはり生ものは敬遠するみたいだ。そして牡蠣。これは日本の倍ほどの大きさのものである。湯に通して食べたが、これは少し硬すぎるきらいがあり、日本の方が旨い。醤油は東マル、中国産であるが、「コッキーマン」とはものが違う。
 これらのごちそうを前に揚州弁が飛び交う。揚州弁といえば、中国の7大方言の中でも、北京語に近いものとされている。ところが実際にはかなり違う。
 普段テレビやラジオで聞く普通語(北京語)はところどころは知っている単語が出てきて、それをつなぎ合わせれば、少しではあるが理解できる部分もある。しかしこの方言は、全く分からない。後一年もいれば揚州弁もしゃべれるようになるのかと思いながら、聞いていた。
 誰かが忠告してくれたが、「あまり揚州弁に堪能になって北京語がしゃべれなくなってはダメだからほどほどにしておきなさいよ」と、さもありなんである。
 うれしいクリスマスプレゼントであった。