中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

怒りの沸騰

 4ヶ月前からビザの延長を学校側に依頼してきたが、「分かっている」という返事だけで、結果的には何も手は打たれていないことが判明した。これは今日責任者あてに、「貴方の考えは理解できない。私のビザは6か月有効の1次ビザである。今日本に帰ってビザの更新をしようとしているが、来年の計画も明らかになっていない現在では、中国政府が新たなビザを発行し、再入国を認めない恐れがある。どうしても出国以前に、ビザの再延長の手続きをとる必要がある。これがうまくいかなかった時の責任はどう取るつもりか。またその時は、航空券は当然請求することになる」とトップの責任者に対しては、いささか失礼な文面になったが、メール送信した結果、判明したものだ。
 これに対して、責任者は初めて何を具体的にどうするのか考え始めたようで、目の前であちこちに電話をしていた。結果として、今から申請をあげる。年末年始でどこも休みであり、役所が動き出すのが1月6日からである。それから、揚州を離れる12日までにビザの延長手続きが終わるかというと「非常に難しい」(責任者の言)ということである。
 今まで何度も話をしても、エージェントの先生を通して話しても、何もしてこなかった結果ついにこのような事態を招いている。このまま、日本に帰って申請をしても、「来期の少なくとも6ヶ月間の事業計画が策定されている必要」があり、なおかつそれに対して、新たな招聘状が必要となる可能性が大きい。学校で招聘状を作ったとしても、国として認めるか否かは別問題である。とすれば新学期の2月11日までに再入国が出来るかどうかは、全く不明である。責任者は「前の招聘状があるではないか」というが、前の招聘状には「この招聘状の有効期限は6カ月と明記されている」とすれば、この招聘状は早晩失効となる。このような招聘状に基づき、中国政府がビザを発行するとは考えられない、というのが私の考えである。
 ここに至って、私の帰国は非常に怪しいものになってきた。日本では年老いた母が帰りを待ちわびており、母を悲しませることになるが、このまま13日に出国するのは考え直さなくてはならない。
 以前「中国人の中の半分はいい加減だ」という中国人自身の発言を紹介したことがあるが、残念ながらその半分に当たってしまったようだ。
 中国は偉大な発展を成し遂げ、有人の人工衛星も成功させ、今は世界のリードランナーとして位置付けられつつあるにもかかわらず、足元でこのようなことが繰り返されるのは非常に残念だ。中国国家にとってみれば、どうでもいいような非常に小さなことに違いない。しかし、私は国家を相手に話をするわけではない。生身の中国人と話をするわけであり、しかもその中国人はそこそこの地位の人である。そこらで手洟をかんでいるおっさんとはわけが違うのである。
 もう一つ、私には120名の学生に対する責任がある。この学生たちに学校側はどう申し開きをするつもりなのか。殆どボランティアのような条件で、単身奮闘している人間に対してあまりの仕打ちではないか?
 猛省をお願いしたい。