中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

除夜の鐘

 大明寺の除夜の鐘(中国語では「除夕的钟」という)が聞きたくて、車を走らせたが、着いたころにはもう終わっていた。インターネットで時間を調べたが、間違っていたようで、惜しいことをしたと悔やまれる。
f:id:China21:20090101023225j:image:right 代わりに大明寺の塔の映像をお送りする。この塔は9重の塔で、名前は「棲霊塔」という。木造ではなく、石造りらしく最上階まで登ったが、重厚な感じのつくりであった。この塔を土地の人は「揚州の桂花」(揚州の金木犀)と呼んで親しんでいる。なるほどライトアップされた姿は美しく、彼らが誇りにするだけのことはある。周りには高層建造物も何もなくて、揚州のほぼ全域から臨むことが出来る。
 大明寺の歴史は古く、640年ごろにはすでに、そこそこの寺として鳴り響いていたということである。途中何回か火災にはあっているようだが、それでも現在健在である。文化大革命のころは旧弊の思想としてずいぶん迫害を受けたということであるが、現在は国家の手厚い保護のもとにあるようだ。 冠婚葬祭の機能は今はなく、純粋に宗教的な拠点として活動している。
 来年は映像と共に音声もお届けできるだろう。
 さて、本当に終わってしまった。最後の最後になって、ビザの問題でひと悶着あり、それで随分消耗した感じであるし、ストレスもたまった。これから正月休み、そしてビザの延長が確定するまでの約三週間、一人でどうしようかと思っている。
 今日学生たちが正月休みで帰省した後の学校に行ってみたが、誰もいない校庭はやはりさびしい。知っている先生も去り、しかりつけてきた学生も去り、「あ、本当に一人になったんだ」という実感が湧いてくる。
 しかし、これも考えようだ。天は中国語の学習に、そして中国の古典や隋・唐時代の中国語の音声の研究に、自分にまたとない機会を与えてくれたと考えることにした。この時代の中国はおそらく日本語の音声にも多大の影響を与えているはずである。ただ知りたい。揚州大学の主任教授にも図書館の閲覧をお願いし、許可も得ることができた。この間誰にも邪魔されずに楽しむことが出来る。これは、これで素晴らしいことではないか。こんな機会はこれからもそんなにあるものではない。
 
 ともあれ、この一年波風もずいぶん立った。自分の頑固さゆえに軋轢もずいぶん生じた。しかし、頑固に自分を貫かなかったら、大阪の「がんこ寿司」は生まれなかったのだ。今日の自分もいないのだ。自分が今日ないということは、明日もないことになる。これからも頑固を通して行こうと思う。一時は周りを泣かせることはあったとしても、長い目で見ればそれがよかったと周りも納得する時期が出てくるだろう。男はつらいよ

 最後に「阿弥陀仏」。(中国語読みすると「あーみーとーぼー」となる)私はこの言葉の響きが好きだ。
 
 皆さん、ほんとにお世話になりました!