中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

遅配

 昨日約束した通り、管理責任者に「給料は確実に9日に振り込んでよ」と再度確認に行った。こんなことをしなければならないのが今の中国である。要はハードはほぼ完備されており銀行とのネットワークも問題はない。ところが人間の手による処理も含め、運用面や手続きといったソフト面が遅れているのである。これがうまく動くようになると、中国は先進国としての仲間入りが果たせ、世界に冠をなす国として名実ともに認められるようになるのであるが、どんなに急いでも、まだ50年はかかるのだろう。
 さてそれはそれとして、管理責任者のところへ行くと、待ってましたとばかり、私の受領サインを取り、少し待たせて上級の承認を取りに行った後、経理に連れて行ってくれた。これでは遅いのである。今日振り込まれるためには、とっくにこの手続きはされていなければならないはず。
 こんなことはわざわざ私に見せなくても、「さっさとやってくれよ」と思いつつ、ハオ・ハオである。
 それで経理は何といったか、案の定、「振り込みは13日の火曜日だ」。
 待ってくれよ、昨日のレターは分かったといったではないかというものの、「暖簾に腕押し」「糠に釘」である。あとはにこにこ笑って、「ハオハオ」である。
 これでフライトを延ばしてなかったら、無一文で日本に帰らねければならなかったことになる。問題は13日と言っているが、これが、13日に実行されるかどうかである。こちらの人は、気休めを言うからだめなのである。ダメなものはダメと最初から言ってくれれば、こちらもそれなりの対処が出来る。ずるずる引き延ばされて、挙句の果て、「いやできませんでした」というのが最悪である。
 もっともこれが非常に難しい仕事であることはよく分かる。私のサラリーマン時代はこれで苦労したのだから。個人ならまだいいのだが、組織となると、途中介在してくるあらゆる気休め、サボタージュ、思惑、不可抗力を排除しつつ、組織としての目標を達成しなければならない。この為に何人の人が板挟みになり、その身を削り、倒れて行ったか分からない。今の日本はその屍の上に存在しているのである。決して会社がよかったのではない。中の人間が、労働者がよかったのである。また日本人のサラリーマンの行状を褒めているわけではない。
 そう云うことではなく、どこの世界でも、きちんと自分の責任を果たし、自分の存在価値を認めてもらえる努力が必要だと言いたかっただけのことである。
 
 私の悪い癖は、すぐ気色ばることである。 どうでもいいから、
 「気やすめはやめてくれ!!」