中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

さらば揚州

 ようやく揚州を脱出した。いま、南京のホテルでこれを書いている。揚州から南京まで高速バスで約1時間半である。料金は32元で高速バスの乗り場は揚州のバス西ターミナルである。中国のインフラはよく整っている。これは昔から、この国を治めた国王が治水、運河、橋梁などのインフラに努め たせいであろう。
 途中揚子江を渡るがこの川はいつ見ても大きい。何艙もの船が行き交っているのが見える。そこそこの大きさであるが、さすがに何万トンというのは見当たらない。
f:id:China21:20090118132353j:image:right この道は田園の中を走るが、中国の農村の家々は最近建てられたものが多いが、インドのようなそれこそ盛り土の家のようなものは見当たらず、そこそこの造りをしている。最近?では長屋のような何軒かが連なったものが多い。日本の長屋とは違っているが、2階建てのものも見受けられる。
 南京にホテルに着いて、まず最初にしたことは書店でガイドブックを買ったことである。これは以前に上海に行ったとき、ガイドブックが全くなかったため、「無視界飛行」になってしまった経験から、まずは書店を見つけて、情報を得るように努めている。
 それを買って近くの食堂でラーメンをすすりながら、じっくりと検討した。
 後はガイドブックに従って行動を開始したわけだが、南京と揚州の言葉が大きく違うのを感じた。揚州では食堂に行っても、タクシーに乗っても、こちらの言うことが分からず、何度も聞きなおされたり、食堂のおねーさんなどはこちらの注文が分からないと言って、怒りだす始末である。どこの世界に客の注文が分からないと言って怒るのがいるだろう。これはいささか驚きである。ところがこの南京では、こちらの言うことが通じるのである。相手の言うこともよく分かる。こうなるとストレスは半減する。
 この半年考えてみれば、「何年も中国語を習っててこれは何だ?」と自信の喪失にもなったし、実に大きなストレスも味わってきた。ここにきて、自分の中国語の未熟さは当然大きな部分を占めるが、揚州弁の持つ難解さも大きな原因であったと気が付いた。わずか4,5時間の滞在が実に愉快に、楽しいものとなった。
 それからもう一点、南京の人の方が外交的なのか、慣れているのか愛想がいい。ホテルのスタッフにしても、揚州賓館とは雲泥の差である。揚州賓館は特別悪いのかも知れないが、「二度と泊まるかい」と思ってしまう。客に愛想一つしない。挨拶するのが損見たいである。エレベーターに乗り合わせても、挨拶しないばかりか、客よりも先にさっさと降りてしまう。ひどいのはリネンの運搬車を押しこんできて、客が邪魔だという風に睨みつける。「ちゃんとドアを開けとかんかい」という具合である。
 南京の方が外国人も多いし、みなさん取り扱いに慣れているのだろう。
 しかし、揚州人の方が素朴かも知れない。これもまた一つの魅力ではあるが・・。
f:id:China21:20090118173518j:image:right 南京大学と南京師範大学の間の15分ほどの道筋にはコーヒー店が数多く並んでいると聞き言ってみた。言うほど多くはなかった。それはともかくそう聞くと急に飲みたくなって出かけてみた。この道筋に、正月用の飾りの出店が並んでいたので、覗いてみた。こちらのものは、ともかく派手である。赤と金をふんだんに使ったものが多く、日本の中間色系統はなく、あくまでも原色である。前にも書いたがここでは砂漠はないので、単に皆さんの好みということになるが、見る分にはいいがこれを飾りなさいと言われると腰が引けてしまう。
 今日は久しぶりに旅行しているという気分になった。