中国旅行は中国と日本の絆の見直し

中国の人々や歴史を日本人との関係で捉えなおすよう心掛けた


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

黒バイ

上海からの帰り南通という街に立ち寄った。ここは上海からバスで1時間半のところだ。揚子江の非常に長い橋を渡るとすぐのところである。この南通には、上海から行くのにはバスがいちばんよい。汽車だと蘇州、常州、南京、揚州を経由して4,5時間かけて行かねばならない。汽車が渡る橋は、南京の近くまで行かないとないのである。
 南通は最近開けた街である。最近と言ってもここ100年ほどではあるが・・。南通の実業家の张謇氏が南通に製糸工業を作りそこから一挙にこの街が拡大をした。彼は単なる実業家ではなく、反日の運動に身を投じたり、教育にも熱心で実業学校や盲学校を開設したりしている。また政治的には孫文と共に活動した時期もあり、中国の中では尊敬を集めた人である。
 現在では南通は日本の川崎重工も進出し、造船の街でもある。人口は780万程度であり、産業の中心は紡績にあるらしい。
 歴史が新しいためか古拙のようなものはあまりなく、街の中心に位置する南通博物苑が観光といえばいえる程度である。この博物苑は张謇氏の旧居が保存され公開されている。ヨーロッパ風のバルコニーのある屋敷である。参観料は15元である。
 さてこの博物館を見学したあと、夕方になったのでタクシーを拾おうとしたがこれがなかなかつかまらない。いま中国では特に大都市ではタクシー不足なのだろうか、南京でも上海でも、この南通でもタクシーを捕まえるのに非常に苦労をする。揚州では買い手市場なのか、すぐに捕まるのであるが。
 公園の近くで30分近くたって手を揚げていたがどうにもつかまらない。仕方なく、とぼとぼ歩いて比較的人通りの多い、人が乗り降りしそうなところまで移動し、そこでも30分ばかり立って止めようとしたが丸っきりダメ。たまたま止まったタクシーには乗車拒否されたり、反対の場所に立てといい加減なことを教えられたり、どうにもならない。
 ついにギブアップすることとし、ホテルに電話したが、これがまた難題である。自分の居場所が分からない。それを正しく伝えられない。この時は運よく?近くで軽い交通事故があって、警官がその処理にあたっていた。その警官に携帯電話をとってもらって、場所を教えてもらおうとした。
 この警官非常に親切な人で、少し待てと処理に当たる警官が到着するのを待って、私の腕をとって自分の単車のところまで連れて行ってくれた。これは周りから見ると確実に連行されているように見えたであろう。そして単車に乗れといい、後ろにまたがるとそのままホテルまで運んでくれた。ヘルメットはしてないわ、帽子が風で飛ばないように抑えているため、片方しか掴っていないわ、危険極まりない乗り方ではあったが、警官だから、周りも警戒しているだろうとこの違反だらけの黒バイに乗せてもらった。
 なんて言うことはないが、この2,3週間殺伐とした雰囲気の中にいたので少し心休まる出来事であった。

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