中国旅行は中国と日本の絆の見直し

中国の人々や歴史を日本人との関係で捉えなおすよう心掛けた


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

広州

 後付けではあるが、今日の日を以てブログのタイトルの更新日とする。今日は上海から広州に移動した。上海は滞在中約10日間ずーと雨だった。この上海という土地は、どうにも肌が合わない。近年猛烈な勢いで膨張をして中国第2の都市に生まれ変わった。結果として街はすっかり新しくなり、きれいになり、大都会になった。非常に多くの車が行き交い。立体交差が縦横に走り、地下鉄は東西に大きく伸びている。去年の秋、10年ぶりに上海の土地を踏んだ時は、「これは東京そのものだ」という印象を受けた。その意識が
 上海の「苦手意識」となっているのかも知れない。何しろ私は日本ではずーと関西に暮らし、「東京なんか住む所じゃない」と言い続けてきたのだから。
 その上海を離れ、この広州にきた。飛行機で約2時間半である。とりあえずの投宿の場所が、広州の「南沙開発区」というところだから、広州の空港より深圳の方が近いというので、深圳の宝安飛行場というところに降り立った。天候は曇り、気温は20度前後だろうか、ずいぶん暖かい。
 この地は香港返還までの間は、香港に対する中国の玄関口として機能してきた。その結果、上海よりも人口も多く、交易も盛んでそれこそ北京に次ぐ第2にの都市として発展してきたが、香港が返還されるやその地位を上海に譲ることとなった。
 車で投宿先に移動したが、高速道路が発達しているものの、車の数は上海よりもはるかに少なく、どことなく牧歌的な雰囲気さえ漂っている。確かに広州市の中心地を通らないためかも知れないが、空気は上海とは比べ物にならないくらい澄んでいる。
 街並みは少しリゾート風の造りのように思える。無機質の上海の造りと違い、また揚州のいかにも中国の田舎風な作りとも違った雰囲気を持っている。
 宝安飛行場から珠江を渡り約1時間ほどのところである。珠江は長江の約半分くらいの長さであるが、そこそこ大きな河である。雲南省に端を発し、香港と澳門の間をを抜け太平洋に注ぐ。
ウイキペディアによると下記の通りである。

 珠江の本流ともいえる一番長い西江は、流域面積が353,000平方kmに達し全流域面積の80%を占めている。雲南省東北部の沾益県にある馬雄山に源を発し、雲南省貴州省広西チワン族自治区広東省の4つの省・自治区、香港およびマカオ特別行政区を経て海に注ぐ。
 その河口部の三角州の広がる一帯(デルタ地帯)は珠江デルタ地帯と呼ばれ、香港・深圳・広州・東莞・珠海・マカオなどの大都市が並ぶ中国の輸出産業の一大集積地となっている。
 珠江デルタには全世界への輸出入貨物を扱う数多くのコンテナ港があり、縦横無尽に走る高速道路や新しい団地・工場の建設などで、水田を中心とした景観は急速に変化しつつある。珠江には、1987年に建設された高さ250m前後の世界一高い高圧鉄塔3本が川の中に建てられて500kVの三相交流電力線を渡しているほか、2015年までに香港−珠海−マカオを結んで珠江河口を横断する架橋工事が行われる予定である。

 この地には日系企業も多く進出しており、日本人も数多く在住している。これらの企業はすべて合弁となっており、単独資本はない。これは中国の国策であり、中国側の支援を得るためには都合がいい反面、景気の変動に際しても、単独で対応できないいわば桎梏になっている。
 日本の企業の出張者はこの開発区の中には住まず、広州の中心地にある豪華マンションや豪華アパートに居住している。

 

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