中国旅行は中国と日本の絆の見直し

中国の人々や歴史を日本人との関係で捉えなおすよう心掛けた


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

南沙

 今いるところは広州の南の開発区の南沙というところだ。日系企業も数多く進出している。開発はおそらく邓小平の「改革開放」の時代に始められたのであろうから、約30年ぐらいかもしれない。
五つ星居住区と銘打って、かなり立派な住宅が並んでいる。区画全体はガードマンが警備している。しかし、かなりの空き家が目につく。これらはカーテンが取り付けられていないので、よく分かる。出来あがってからであればいいのであるが、右の写真のように建設途中で全く中断してしまって、今は廃墟と化しているのももかなり見受けられる。これらは、サブプライムローンの問題が勃発したころには、既に建設し始めていたようであるので、サブプライムローンが工事中止のきっかけになっているわけではない。今では幽霊が住みそうな感じである。日本ではあまりこういった形で留め置くことはないのではと思う。
 いずれにしろ、計画と建設工事はタイムラグがあるので、見込み違いということだろうか。計画がいい加減なのかも知れない。この場合の空き家や建設放棄のものは一体どうするつもりだろう。ただ街並みや道路、街路樹などはしっかり計画されているようであるが、住居の方は景気に左右されやすく、少しおかしくなったら、入る人もすくなるのかも知れない。
南沙に入るにはいくつかのルートがある。広州の飛行場に入って、地下鉄や車でこの地域に入ってくるのと、先日書いたように深圳に入って車で入るルートがある。いずれにせよこの地に観光で入ってくる人は殆どいないので、このような紹介はあまり意味がないのかも知れない。
 広州の地下鉄はかなり発達していて、かつ良く整備されている。地下鉄は写真のように美しい。

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