中国旅行は中国と日本の絆の見直し

中国の人々や歴史を日本人との関係で捉えなおすよう心掛けた


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

いい加減にしいや 2発

第1話 広州の南は今は南沙という大きな開発区である。その最南端に南沙天后宮というお寺がある。ここには大きな観音像が祭られており、多くの市民が集まってくる。彼らは線香を買って、祭壇の前にぬかづきながら、線香を捧げつつ2,3度お辞儀をする。こちらの独特のお祈りの仕方である。
f:id:China21:20090316235055j:image:right そのお寺に11階か12階の大きな塔がある。それは石造りで、お寺は再建されたものらしいが、その塔は古くからあったようだ。「煙と何とかは高い所に」と云われるごとく、高いところといえば登りたくなった。中はトータルで100段以上の階段がらせん状になっている。階段の幅は非常に狭く、大人二人がすれ違うのに、体を斜めにしないとすれ違うことはできない。
 私が下から上っていると上からまだ若い中国人男性が降りてきた。私との距離は2、3段はあったが、なんとその男こともあろうに手鼻をかんでいるではないか。こちらは一瞬身構え、足を止めたから被害を辛くも免れたものの、危うく忌むべき被害に遭うところであった。見たところ20代後半のサラリーマン然とした男である。これはないだろう。非常に狭い階段で、すれ違うのが分かっているのに、「いい加減にしいや」と思わず叫びたくなる状況であった。これは完全なエチケット違反。悲しいかなまだまだこういうのが多い。



第2話 地下鉄に乗った。こちらの地下鉄はまだ新しいし最新式であり、実にきれいで、乗っていて気持ちがいい。座席はステンレスで実に清潔に見える。
座席は空いていて、まばらというわけではないが、空席が結構あった。私の目の前に夫婦と1歳に持たない幼児を連れた夫婦が座った。年の頃30歳の半ばであろう。子供の年代からしたらそうであるが、顔は生活苦を重ねたと見え、奥さんの顔もかわいそうにかなり更けて見える。ミルクやいろいろの物を持って乗り込んでいる。
f:id:China21:20090309104930j:image:right ふと子供を見ると男の子である。立派なおちんちんが丸出しである。いやおチンチンばかりかお尻もまる出しである。なんとこの子供服のお尻の部分は切れている。これであれば子供がおしっこをしたらそのまま直接出てしまうではないかと思っていた。子供におっぱいをやってしまったあと、母親は平然と子供を連結器の部分に連れて行っておしっこをさせているではないか。
 この夫婦にとってはそりゃ実に経済的だ。おむつもいらない。出す時は少しまくりあげてやればそのままジャーと出すことが出来る。
 しかし、「公衆道徳も何もあったものではないか」と思って眺めていた。その内その夫婦が少し慌てだした。何やらティッシュを出している。見ていると子供はシートの上に立派なうんこを残している。夫婦は子供お尻を拭い、ティッシュでそのうんこを拭い、さらに少し丁寧にシートをティッシュでふき、それらを全部シートの下に放り込んで、次の駅でさっさと降りてしまった。駅では乗客が我先にの乗り込んで件の座席にも腰を掛けていた。
 これらの一部始終を見て、少し情けなくなった。そりゃないだろう。いくら生活が苦しいといえ、子供出すものはどこであろうと垂れ流し、平然としている。回らの目もあり、周りの人も大勢いる。もう少し辺りを汚さないようにならないものか。あまりに自己中心的と云われても仕方がない。 「衣食足りて礼節を知る」ではあるが、子供のお尻を覆う布を買うぐらいの衣食は足りているはずだ。
 心の底から「いいかげんにしいや」。

後日日本に帰り、ある本を見ていたら、この子供服はオムツが要らないので非常に重宝されているとの事である。それと同時にこの服はオムツをすることによって子供の体内に「気」がとどまってしまうのを嫌がるという中国の「迷信」に基づいて用いられているという。この服にこのような深い意味があるとは知らなかった。自分の無知は恥ずかしいものであるが、しかしこれはやはり戴けないのではなかろうか。