丑年の暮れ
今年もあとわずかである。街には年末のあわただしさが見られるが、心なしか今年はその元気も余りないように思える。特にクリスマスのあの慌しいジングルベルのリズムも今年は余り聞けなかったように思うし、クリスマスケーキもそれほどバカ売れしているようには思えない。
しかしながらいつもと全く変わりないのが年賀状の作成である。この20年ほどずっと「プリントごっこ」を使ってきた。今年も早速インクとランプとスクリーンを買いに出て驚いた。往年あれほど幅を利かしていた「プリントごっこ」の売り場が今年は殆ど見られなかった。どこでもパソコンとプリンターにとって代っしまったのだろう。
さて来年は寅年、今年はうし年、一昨年はねずみ年と殆ど何の疑念も持たないですごしてきた。しかし何故ねずみ、牛、虎なのか。深く考えたこともない。しかし、寅は虎ではないし、丑は牛ではなく、子は鼠ではない。そこで、この十二支について少し深めてみたい。
日本では十二支に動物を割り当てるが、中国や朝鮮でもそうであるのだろうか。中国などででも、十二支にかかわる笑い話もあり、日本と同じよう十二支は立派に生活に根付いているようである。われわれはこの生まれ年を使って性格判断をしてきた記憶もある。「あなたは未年だからおとなしいんだね。」とか「私はねずみ年だからこちょこちょはしているのよ」とか・・。
そこで中国の笑い話で、この生まれ年にまつわるものを紹介したい。
ある地方に中央から一人の長官が任命された。さて地方のノンキャリアの人たちは中央からの長官ということで、こぞって取り入ろうと必死だ。ある時長官の誕生日に贈物をしようと相談をした。長官は「子年」であり、いろいろ考えた結果、「金無垢のねずみの彫り物」を贈った。長官は大層喜んで、毎日毎日なぜたりさすったりと大変なものである。それから暫くして長官が皆にお礼を述べた後、「来月はうちの家内の誕生月だよ。ところで家内は牛年生まれだ。」
どこの世の中にも得てしてあること。今の日本でも立派に通用する話だ。
さて今日はこの「丑」という漢字の語源を遡ってみることにしたい。右の文字は左から甲文(甲骨文)、金文、小篆(テン書)、楷書の書式で書かれた「丑」である。
この甲文というのは殷の時代に使われた文字で占いの亀の甲に書かれていたものである。この文字は基本的に象形文字そのものであるといわれている。
さてこの丑という文字の最も古い形の甲文は、嬰児の手を表しているといわれている。出生直後の嬰児の手の特徴は硬く握り締めて出てくることで、死んだときの手と著しい違いを見せている。
「丑」は十二支で2番目の位置を占めていて、「子」から「寅」に至るまで出生の状態がこの3文字で表現されているとのことである。
ちなみに「子」はまさに胎児が母体中を降りてきて生まれるさまを表現しているそうだ。そういわれれば確かに!
このように十二支は、人間の出生から母と胎盤の分離、男と女、生殖のシンボルなど古代人の願いを反映したものとなっていたが、後の時代になって時刻と方向にもっぱら使われるようになり、原義は次第に失われたと考えられるといわれている。
十二支は古代人の子孫繁栄の願いがこめられこの世に作り出されたものでり、動物は跡付けの話のようである。
漢字の世界は奥が深い