中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

芭蕉と杜甫と気候と感性

大陸性気候を肌で感じた
 これが大陸性気候というのだろうか。それとも一時だけの現象だろうか。こちらに来てから、ほとんど連日のように、数時間土砂降りの雨が降っている。それも決まったように、夕方である。それまでは決して晴れているとは言い難いが、強い熱気にてらされて、体中から汗が噴き出した後、あたりが少し暗くなったと思うと、ポツリポツリと大粒の雨が落ちてくる。そうするとものの1分もたたないうちに土砂降りに代わる。それこそバケツの底を抜いたような降り方である。日本のようにしとしととかわいらしく糸を引くようなものではない。
 今日はそれに加え雷である。こちらの雷は大地に樹木が少ないからなのか、或いは山が少ないからなのか、あたり一面鳴動する感じである。
稲光はあたりを青白く大きく浮かび上がらせ、雨は窓をたたきつけ、窓枠を通して雨粒が部屋の中にまで入ってくる。ともかくすざまじいの一言である。


あいまいさを剥ぎ取った気候
 この気候に曖昧さのかけらもない。ここに住む人間にも、白黒をはっきりさせないと済まないという激しさで迫ってくる。聞くところによるとこの地は中国の中でも年間の寒暖の差が最も大きい土地ということである。
 日本ではすべてが柔らかだった。日本人の持つ柔らかさや曖昧さはこの気候による部分が大きいのかもしれない。
 日本人と大陸人との違いはこの気候による違いが多分にある。


大陸と日本の色彩感覚の地政学

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夢にまで見た黄河
その色はどこまでも黄色で、その砂はどこまでも細やかだった
 第一服の色が違う。中国人はどちらかというと原色を好む。一方日本人は中間色を好む。日本の風土に原色はどこか似合わない。日本で原色の和服を着た女性を見かけたらやはり興ざめだろう。逆に中国で地味な中間色のチャイナドレスを着た女性を見かけたら、やはり映えないだろう。

青い甍と丹色の柱
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平城京大極殿
< これも誰が言ったのかははっきりしないが、西安敦煌のような場所で、隊商が長いたび字の果てに、函谷関や西安に行き着いたとき、地平の向こうに青い瓦や朱色の柱を認めることができた喜びはいくばくのものであったろうといっていた。この表現通りなっていたかは少し怪しい。なぜなら都は高い城壁に囲まれていただろうから、赤い柱が遠くから認められたかは怪しい。しかし、情景的はよく分かる。

日本人の美意識と気候
 太宰だったと思うが、「僕は秋が嫌いだ。秋はずるい。夏のうちに気がつかないように冬を準備している」と書いているが、これが日本的そのものなのではないのか。本質的なものを出さずに、密かに準備し、それを誰も気がつかないようにして表現するところに美の極致を見る。これが太宰の曖昧さと優柔不断そのものだろう。  大陸ではそのような秋もなければ、気候もない。そのことは、まさしく本質そのものをえぐり出し、耳目に訴えるところに芸術の極致とさせることを強制しているのではないだろうか。その意味では大陸に太宰は生まれてこなかっただろう。



芭蕉杜甫
 下手の横好きでこの地でも俳句などひねり出そうと密かに企んでいたのだが、この一カ月でその身の程知らずなたくらみは見事に打ち砕かれてしまったようだ。一昨年もこちらに来た時は、日本とは季節感が違うな、俳句は難しいなと少しは感じていたが、今度わずか1ヶ月であったが、この一昨年前の感覚をも見事に喝破されてしまった。この地には芭蕉や蕪村は決して出ないだろう。出るとすれば、やはりあの李白のような豪快な鮮やかさ、杜甫のような全身で表現する厳しさであって、わびやさびでもなければ、蕪村の自然の中に包み込まれる感覚ではない。  上海や南京に入る国道沿いの農村地帯では春ともなれば、あたり一面菜の花が絨毯のように広がっているのを見ることができる。いまや日本では、こういった風景は見えなくなったのではないかと思われるのであるが、この菜の花畑にしても、純日本的なものと中国の菜の花畑とは異なるのである。菜の花畑そのものが違うのか、はたまた見る人間の感傷なのかは定かではない。