中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

小さな違い大きな誤解 − その1

ペーパー無残

 スーパーに行ってトイレットロールペーパーを買ってきた。要は普通のトイレットペーパーであるが、私はこれをトイレットペーパーとは呼ばない。つまりトイレに入れた段階でトイレットペーパーと呼ぶようにしている。ロールペーパーというのはなかなか使い勝手が良くて、長さは変幻自在なので何にでも使える。


トイレットペーパにミシン目がいるかいらないか
 しかしこれはそのロールペーパーにミシン目が入れてあるので、自分の好きな長さに切れるのであって、ミシン目がないと以下のとおりである。
「ミシン目ぐらい入れとけよ!」と毒づきながら、切ろうとするがなかなかうまくいかない。しかもこのトイレットペーパーは日本のものと比べると幅が広く約1.2倍ぐらいはあるし、その上に非常にしっかりしていて3層である。紙も上質で日本のものと比べてもそん色ない。せっかくいいものを作りながら「ミシン目がないのはなんでや。商品価値が下がるではないか」といろいろひねくり回しているうち、切るときに紙を絞って切るとうまく切れることが分かった。
 「バカと鋏」ではないが、ミシン目を入れて工程を増やしてわざわざ高いものを作らなくてもうまく切る方法があるではないかと考えなおせば、納得できる。
 ここで「やっぱり中国製はだめだわ」というと大きな誤解に発展する。


トイレにトイレレットペーパーを備え付けてなければ、ミシン目などいらない
 ちなみに少し離れた町のトイレットペーパーはミシン目が付いていた。確かにトイレットペーパーにはミシン目をつけてできるだけ手を触れなくてもいいようにしてほしいところである。
 私の住む町のトイレにはトイレレットペーパーを備え付けていないので、逆にミシン目など付けなくても問題はないということらしい。
 つまりこんなところにも文化の違いが歴然と表れている。