中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

舟曲の壊滅的状況

 しばらく周りのごたごたで落ち着いてテレビを見ることがないという生活が続いていたが、今朝(8月13日)久しぶりに朝のニュースをみて、甘粛省の南部の舟曲という街で大変なことが起こっていることに改めてことの重大さに驚いている。甘粛省と言えばあの有名な敦煌もその最西端に位置している。

 もちろんここで大規模な土石流が発生していたことは知っていたし、救援現場に多量の兵士が派遣され、人海戦術的な活動を行っていたことは知っていたが、今日のニュースでは現場のヘリコプター映像で、より全体的な状況を報道していた。


大規模な土石流が発生
 黄河の上流か揚子江の上流かははっきり分からないがともかく相当の山奥の山の街であるが、ここしばらく続いた大雨で大規模な土石流が発生し、河の流れをせき止めたため洪水が発生し街が壊滅しているというものだ。報道によると川底が10Mほど土砂に埋まって上がってしまったため、街の三分の一が土砂に埋まったというものだ。 
 今回は土石流による被害が大きかったようだが、白龍江(長江へ重慶で合流する嘉陵江の主要支流)へと流れる小川の上流で、川が堰き止められて大量の水がたまり自然ダムができていた。この天然ダムが崩壊して180万立方mほどの土石流が一気に城関鎮の中になだれ込み、川下に甚大な被害をもたらしたという。

 北京週報によれば、ブン川地震で甚大な被害を受けた甘粛省甘南チベット族自治州舟曲県の東北部山間地帯で、突然豪雨が降った。雨は40分以上降り続き、最大雨量は90ミリ余りに達した。豪雨により二筋の大規模土石流が発生し、舟曲県中心部の関鎮月圓村を含む幅約500メートル、長さ約5キロにわたる地域が土石流に飲み込まれたとしている。時間当たり最大雨量が90ミリというのは、日本でも最近ではそう珍しいことではない。この程度の雨量でこのような災害を生むというのは、やはり治水が弱かったという非難も出てこよう。中国は日本と違い川の流域面積も桁違いであるし、一概に述べることはできない難しい面もあるだろう。


 政府は大規模な救援隊を派遣するとともに、幹部を対策本部のトップに任命するなど全力を傾注しているが、発生してから5日目になっているにもかかわらず、今なお大雨が持続し救援作業が困難な状況にひんしていると伝えている。政府は8月15日をこの土砂崩れに対し哀悼の人設定し、あらゆる娯楽活動は自粛し、政府機関には半旗を掲げるとしている。


中国の歴史の中の治水
 中国は太古の昔からこの治水ということが、時々の皇帝にとって常に最大の課題であった。
 先日も書いたが、国土が大きいため、発生する天変地異や気候変動が、我々日本人の想定する規模をはるかに超える規模で発生するようだ。この一カ月の発生を見ても、この甘粛省の大規模土砂災害のほかにも、広州で大規模な洪水が発生しそれぞれ対応に追われている。地震についても、四川省地震以外に青海省の大地震と立て続けに発生している。これらの事件はすべて中国にとって経済的にマイナスの要因として作用するはずである。
 いずれにせよ中国では人口が多いため、小さな街といっても、100万人の人口を超えるところは少なくなく、災害の規模もそれに比して途轍もない大きさになっているようだ。
 日本ではこういうのを聞くとえてして「洪水が起こるのは、木を切りすぎたため」とか建物が倒壊すると、「まともな建築物でないからだ」と批判的に物事を見がちであるが、そういう原因もあるかもしれないが、直接の原因は、「想定の範囲をはるかに超える気象現象・地殻変動」に起因するのではなかろうか。そしてそれと同時に、三峡ダムのような脚光を浴びる工事には力を入れれるが、そぷでない3級河川の治水はどうなっているだろう。冷静な分析が望まれる。

 とりあえず ここをクリックして別置の写真をご覧いただきたい
  甘粛省舟曲の生々しい現場