中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

汝、誰がためにそこに座る?

 期末試験の採点の締め切りが1月12日であるので、今日一日ホテルに閉じこもり作業に掛かりきりであった。学生にとって4ヶ月の勉強の成果が試されると同時に、教師にとっても仕事がどうであったかの検証でもある。
 結果はごく当たり前のことであるが、授業に出て熱心に教師の言うことに耳を傾け宿題を提出する学生は、成績はすこぶる良い。授業中に寝てばかりいる学生の成績の差はまさに天と地の開きがある。
 一昔前、中国の学生のハングリー精神は日本の学生の間でも有名だったことはもうない。ここの揚州の田舎の単科大学にはないだけのことで、有名大学ではあるのかも知れないが・・。
 授業に出てくるのは出てくるが、しかしただじっと座っているだけで、寝もしない学生がいて、「君は何のために、授業に出ているの?」と聞いたことがある。彼曰く、「学校を卒業したという資格が欲しいのです」と。しかし全く何もしないで1時間半座り続けるのは、かなり忍耐のいることで、私なら絶対出来ない芸当だ。それほどまでに強い忍耐力をなぜ、ただ座るだけのために使うのか私には理解できない。卒業証書という紙切れが欲しいなら、授業に出るだけでて、授業を邪魔せずに自分のしたいことをすればいいのだ。あるいは適当にサボればいいのだ。どうせ追試で何とかすることになるのだから。当然のことながら彼の試験の点数は100点満点の6点であった。それでも6点も取ったということは、無駄でなかったのかも知れないと彼は自分を納得させるのだろうか・・。
 これを無気力というのだろうか。私には一種の病気にしか思えない。
新学期始まった時はそうではなかったはず。わずか4カ月の間に彼をそうさせてしまったのは、教師にも責任はあるかも知れない。ある意味ではやりきれない思いがある。
 聞くところによると、中国の教育制度は6・3・3制をとっており、大学は通常4年制である。しかし日本のように単位が平準化していないために、一旦入った大学は、途中で学部替え、編入などの変更が利かなくて、学生にとっては進路選択の幅が狭められるということである。たとえば、わが大学を卒業した学生は、選べる職種も限定され、職工や事務員しか道はないという。それが嫌で別の大学に編入、進路変更をしようとしても、その路は許されていなくて、大学を受け直すか、金のある子弟は海外に出て、海外の大学を受けるしか他はないという。しかし、これとて中国国内にで大学卒という資格が通用するかというと一概には言えないようだ。このような柔軟性を失った制度も学生のやる気に影響しているのかも知れない。
 ここまで来ると一介の外人部隊のかかわる隙間はもう何もない。