中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

初めての紹介

今日は副学院長に2クラスの学生たちに紹介してもらった。全員18歳以上とのことである。出身は四川省から自身の被害者を受け入れている以外は殆ど全て江蘇省のようである。それでも江蘇省の面積は日本の国土の3分の1ほどで、いくら省内といえども十分遠方である。遠方の学生は全て寮に入っているということである。ちなみに学生たちが言うには100Km程度であれば「近い」というらしい。 四川省からの学生は100人ほどだということだが、学費は当然のこととして、生活費も学校が面倒を見ているらしい。
 日本では地震の被害者は奨学金という形で少しは配慮されるかもしれないが、基本的に放っておかれて、学費や生活費まで面倒を見るということはあまり聞いたことがない。 中国では、希望する学生は寮に住み、大部分は10人部屋の2段ベッドのようだ。寮は親の金しだいで二人部屋を希望もできるそうだが、10人部屋というのはぷらいばしいも何もあったものではないという学生の悩みも分かる気がする。しかし今は多くの学生は寮とはこんなものだということで済んでいるようだ。ここにも貧富の差が出ているのかもしれないが・・。f:id:China21:20080901143740j:image:right
 クラスは一つは54人中男子が4人、もう一つは60人中男子が10人程度でいずれも男子は肩身がせまいようだ。 10年前に中国に来た時と比べると目の前にいる女子学生の服装ははるかに華やかで、垢抜けがしている。しかし一見する限りそれなりに女子大生という服装をしているが、突拍子もないのはいない。服装学科やファッション学校ではないので当たりまえかもしれない。日本の学生と比べれば、随分地味だといえる。別の言い方をすると野暮ったいのは確かである。ファッションからいうと20年の差はあるように感じるが、ただ日本のように最先端?を行くのがいいのかどうかは分からない。中国では大学というからには、それなりの自制が必要とされているのだろうなと妙に納得してしまった。