中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

手前味噌?


 当地に来て初めての1週間の授業が終わった。これをやるまではやれば出来るという想いはあったが、残念ながら実績になっていなかった。しかしたとえ短い期間にせよ実績ができたことは大きい。
 1週間を終わるに当たって、学生たちにとったアンケート中で「授業は面白いか」「日本語の勉強は好きか」という質問対し全員が「面白い」「好きだ」と答えていた。教室が騒がしい、言っていることが分からないという指摘など改善すべき点は多々あるが、私にとって上出来と思う。
 下手な中国語で、訛りのきつい学生を相手に、教科書もない状態で最初の授業をよくぞここまでもってこれたと我ながら満足している。ここは思い切って自分を褒めてやらねばならない。対象は日本語の授業だが、あくまで中国語でこなしたのだから、自分でもびっくりしている。
 しかし、この方法は日本語教授法から言うと邪道になるかもしれない。あくまで「日本語で日本語を教える」のが本道といわれている。出来るだけ早い時期に切り替えをしなければならない。
 私の中国語はきわめて貧しいので大学の中ではどうにか通じているのかもしれないが、しかし一歩街に出てタクシーの運転手や一杯飯屋のおばちゃんに注文するとなるとこうはいかない。大学での中国語はいわば専門語の世界、一方町の中では何が飛び出すやらとんと見当がつかない。
 授業でも、中国語で自分で説明をしたつもりでも相手は理解できているとは限らない。50人、60人の日本語は聞いたこともない学生たちに日本語を一から始めるのだから、少なくとも暫くはこの方法で突っ走るしか手はないのだと言い聞かせた。
 この一週間は確かに自分にとって上出来だろう。しかしこれはあくまで最初の一歩。真価はこれから問われることになるだろう。

    大学との契約も正式に交わすことができた。