中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

一元の値打ち

 ウエストポーチのひもが切れた。前にも言ったように、揚州の繁華街をくまなく、ウエストポーチを探し求めて歩いたことがある。しかしスポーツタイプの布製のものはいくつか置いてあったが、私の持っていたような革製のものはついぞ発見できなかった。
 このウエストポーチのひもが切れたので困ってしまった。これはなかなか使い勝手がいい。電話も、小銭もちょっとしたものはこれに入れることができて、しかも忘れものになりにくい。いつも腰のまわりに巻いているので、私のように忘れっぽい人間にはちょうどいい。
 それにホテルの朝食の時など、余ったパンを持って帰るにも都合がいい。
 ともかく新しく買うことは諦めて修理をすることとした。
これまた街の修理屋さんをいくつか回った。毛糸のセーターの修理、衣服のカケツギヤさん、いろいろ回って感じたことは、これらの仕事が細分化されており、専門のところに持っていかないと引き受けてもらえないことである。
 最後にようやく「皮包修理」と書いてあるところを探し当てた。実にこれで商売になるのかという感じで、店らしい店などなく、道端にミシンと若干の道具を持ち出し椅子をいくつか置いて、近所のおっさんと話をしながら手を動かしていた。出来るかと聞くと出来るというのでやってもらった。修理箇所をちょっと見て、実に手際よく分解し、ミシンをかけて、ものの2分もたたないうちに見事に修理をしてくれた。いくらだと聞くと何と「1元」という。それででいいのかと思いながら、いささか感激の面持ちで金を払った。1元といえば日本円で16円である。
 ちなみにこの修理屋のいる界隈は揚州市でも最も古い地域だそうで、小さな路地にごちゃごちゃと零細業者が軒を連ねている。この商売もひょっとしたら、紀元前からやっていたのではと錯覚してしまうのは大げさだが、ともかくある種の雰囲気を持っていることは確かだ。
 同じような修理を日本でやってもらったら、500円はする。
 ところでこの街でもそう云った商売は消えつつあるのかも知れない。しかしまだ街を歩いているとリヤカーに道具を積んで、鉦をたたきながら走っている鋳掛屋は多く見かけるし、先のカケツギヤも結構見かける。
 電気の修理屋さんも結構多い。日本でも以前は電気屋さんに持ち込むと部品を取り換えて安くやってもらったが、最近では新品を買った方がいいのではと思う値段になってきている。部品も昔のように抵抗、コンデンサーを取り換えてくれるのではなく、最近ではマザーボード一枚そっくり交換する方式になってきている。第一店員さんが故障を見れなくなってきている。細かく見れば安く修理ができ、いつまでも使えるものを・・。、
 いつからこうなったのだろう。これも高度成長の害悪ではないだろうか。最近でこそリサイクルという言葉できれいごとを聞くが、大切なものを忘れてきたのではないだろうか。
 日本のリサイクルには時間がかかりそうだ。