中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

字は人なり

 「字は人なり」とか「字は態をあらわす」(タイという字はこの字が正しいのか記憶が定かでないが)とかいろいろ言われてきた。まあそんなもんかぐらいにしか考えていなかったが、ここにきて若い学生たちの下手な字に付き合っていると、この言葉は本当に良く云ったものだと改めて感心している。
 授業中に涎を垂らし寝ている学生や携帯に夢中になっている学生やおしゃべりに夢中になっている子供たちをよりすぐって指名して、黒板に書かせるようにしている。従って私のクラスでは優秀な子はあまりあてないのである。さてその子供たちは、こちらではまだそんなにすれていないので、からや図体は牛や馬みたいなのもいるが、彼らも当てると素直に黒板に来て、顔を赤らめながら何とかしようと格闘しているのを見るのはなかなか楽しいものである。この辺りは日本とは違った雰囲気ではないかと考えている。
 それはさておき、これらのやる気のない、いい加減な子供たちの字を見ていると大体下手である。下手というのは、形が悪いとかいうことではなく、しまりがないのである。漢字圏なので漢字を書くのには慣れているはずであるのに、しまりがない。横書きにしても一直線上を気持ちよく書く子はほとんどいなくて、上にあがったり、下にさがったり自由奔放である。字そのものにしても、ふにゃふにゃと捉えどころがない。
 そこで少し前、日本のテレビで筆跡で性格が分かるというのをやっていたのを思い出し、子供たちに君たちの性格分析をしてやろうと持ちかけた。すると乗ってくる乗ってくる。今まであっちゃ向いてこっちゃ向いていた子も一斉に注目。
 こちとら自分の性格も分からんのに何で人のまでわかるんやと思いながらも、言いだした手前適当にその場を乗り切らなけりゃならん。そこで一番ひどい字のこともを捕まえ、「君の字は実にのびのびしている。しかし、あまりに雑である。たぶん君はまだ自分というものが分かっていないのだろう。(こんなぐらいは字を見なくてもわかる)このまま自由奔放に行くのも人生だが、やはり自分のよって立つものを見つけないといけないよ。字から見る限り、友達にも恵まれているようだし(これも普段観察しておればどんな友達と付き合っているかぐらい分かる)いいものを持っているので、がんばればいいとこいくよ」となんとかしのいだ。
 しかし一方出来る子は字の形は下手でも、きちっとした字を書く。何というか腹が据わった字を書くのである。不思議なものである。
 こんなこと分かっておれば、自分の人生も変わっていたろうに・・、なんて今更遅い。人生というものはこんなものである。