中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

 日本では11月入ったら、クリスマスの飾りつけが出たり、何かとその気にさせるのであるが、こちらではどうだろう。学生たちにクリスマスは何かするの?ときいても、全く反応がない。「なんじゃそれは」という感じである。60数年生きてきてクリスマスソングを聞かないでくれた年はないのである。
 ところが、こちらでは全く聞かないのである。街でのそれらしいことは全くない。そんなことはないだろう、何かあるだろうと、例の好奇心がむくむくと目覚め街に出てみた。それがないのである。そしてそこら中歩き回ってやっと一軒だけツリーを店頭に飾ってあるのを見つけた。実に歩いた時間にして2時間、6km歩いて、一軒だけである。そんなの信じられる? アラブじゃあるまいに。しかし私のこの発想そのものがおかしいのかも知れない。ややこしいことはさておき、これが、数百軒に一軒の貴重な写真である。
f:id:China21:20090819140443j:image:leftこの違いは一体何だろう。日本ではクリスチャンでもないのに、「クリスマス」と大騒ぎ。こちらではそんなことにいささかも動じることなく営々と同じ営みを繰り返している。後生大事に旧暦の正月を繰り返している。これは北京でも、上海でも同じではないだろうか。
 日本は、やはりいいとこどりの文化ではないだろうか。別に悪いと言っているのではなく、それが日本文化だ。
 あまり自分にこだわることなくどんどん新しいものを取り込んで自分のものにしていく。それを国政レベルでやってのけた先駆者聖徳太子である。彼は仏教を取り入れ、古い宗教とうまくすり合わせながら融合していった。かれはそれを「和」という。何というご都合主義。しかしそれがあったから、今日の日本があるともいえる。
 今この地中国にきて、彼らの文化にほんの少し触れてみて、日本との大きな違いを感じざるを得ない。それは、顔とか皮膚の色とかそういう表面的なものでなく、腹の奥に横たわる何かがそうさせている。
 この進取の精神という観点から言うと中国は保守的である。今だに儒教が生きている。今だに「司馬遷」がビジネスの書として愛読されている国なのである。
 私の慢歩の旅はまだまだ続く。