中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

言い訳

 ホテルの部屋のカードキーの読み取りが壊れた。以前からおかしく、開けようとしても開かないので、サービスマンを呼んで、マスターキーで開けさせたりしていた。そして今度はホテルのマスターキーでも開かなくなってしまった。ホテル側はカードではなく、本当のキーを持ってきてそれでしばらく我慢してくれという。
 昨日の朝、出掛けにそのキーをフロントに預けて出た。帰ってきてキーを出せというと見つからない。サービスマンを送るからそちらで開けてもらってくれという。部屋は一応開いて、今度はそのサービスマンにキーがないと動きが取れないので、早くキーをもってこいというと「分かりました」との返事。ところが待てど暮らせど帰ってこず。フロントに電話して、いつまで待たせる気なのか。早くキーをもってこいというと「キーはありません」との返事。「何を考えているのだ。キーがないとはどういう意味だ」と怒鳴りつけると、しばらくしてサービスマンがキーを持ってやってきた。
 このホテルの管理はしっかりしていなくて、以前にもホテルのセイフティーボックスのキーでも同様のことがあり、結局必要なときに取り出せなくて困ったことがある。流石三ッ星ホテルだけあって、立派な管理体制だ。あきれて物が言えない。
 部屋に付いてはこんなことを繰り返すのもいやなので、部屋を代えることになった。自分で契約しているのであればとっくにホテルを換えているのだが、大学が契約しているので動くわけにはいかない。こちらももうすぐ出るというので部屋も我慢してきたが・・。
 この部屋のカードキーにしても、「読み取りがおかしいのでかえてくれ」とサービスマンに要求しても、「部屋安全の為、一週間に一度はキーをクリアにします」などの訳のわからない言い訳をぬけぬけという。
 フロントの態度も気に食わない。カードキーがおかしいからすぐにサービスマンをよこせと言っても、「フロントで調整するから、フロントまで来い」という。しかも彼らは、まるでこちらが悪いというような態度である。
 こういう言い逃れは、あちこちで見られ、学校でも学生達を呼びつけるとありもしない理由を並べ立て言い訳をして自分を正当化しようとする。
 バヌアツでもそうであったが、言い訳をさせない、言い訳の理由を与えないことが、後進国で、こちらの思うように事を運ぶコツである。
 中国は後進国ではないと考えてきたが、こんなことが続くとなると私の頭の中では、中国を後進国の範疇に格下げせざるを得なくなる。
 私の考えでは、社会が発展してくるということは、個人と社会の関係がはっきりしてくるということであり、民主主義が発展するということであり、その分個性が発露するということである。つまり個人が責任をとらない社会の状態は後進国である。その意味では日本も立派な後進国である。「消えた年金」責任を誰が取った? 「ゆとり教育」の責任を誰が取った?
それぞれのレベルで責任をとり、それをチェックする機能が正常に働いてこそ社会は順調に機能するのである。
 発展した社会では、個人の責任の及ぶ範疇も自ずと明らかであり、社会もその範囲であれば、ほかに類が及ぶことがないようなシステムになっているのである。ところが後進国であれば、自分がどこまで責任をとらされるか分からない状態となる。深刻な場合は、その類があらゆる所に及ぶ危険性が出てくる。だから言い訳をして、言い逃れようとするわけである。
 「てなこと言われてその気になって・・」という植木等の「すーたら節」が思い出される。そういえば、あれのキャッチフレーズは「無責任男」であった。