中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

給料

 給料日は毎月10日と決められている。ところがこちらでは10日に手配の準備を始めるということらしい。今月も10日には確かに私のサインをとりにきた。「これで間に合うのかな」と思っていたが、案の定10日にも入っていなくて、13日になって振り込まれていない。
 中国の公務員の給料はいつでもこんなに遅配があるものだろうか。これでうまく動いていれば、これもまた不思議な国である。
 ホテルの朝食もそうである。7時にはレストランが開くということは明記されているにも関わらず、7時に行っても準備どころか誰もいないこともあった、それから準備を始め、客がたべれるようになるのは、7時10分ということもあった。その間お客は何も言わずじっと待っている気配である。ホテルもお客も実に寛容である。ここは揚州の田舎で、しかも3流ホテルだから仕方がないのかも知れないが・・。
 しかしこれがバスに乗るとか買い物をしたり、どこかの窓口になると様相が一変する。待つのは待っても、バスが来ると順番もへったくれもなく我先に乗り込む。郵便局の窓口でも、順番を待っていても、横から大きな声で割りこんで、用事を済ませてしまう。
 これは一体なぜだろう。彼らは気が長いのか、短いのか見当がつかない。
 サービスが開始されるまではいくらでも待つ。日本人のように、早くサービスを開始しろとかもっとサービスを充実しろといった、要求はあまりしないようである。しかしサービスが開始されたとたん、そのサービスを手に入れようと我先に殺到する。
  これは国民性なのかも知れない。5000年の歴史をこうして繰り返してきたのかも知れない。いわば非常に気が長くもあり、非常に気が短くもある。
 また別の面から考えてみると、これは国民性の問題ではなく、長い間の歴史の中で庶民が手に入れたいわば生き抜くための知恵なのかも知れない。
 つまり、いわばサービスやシステムをあるがままに受取、あるがままに享受する。しかし、受け取れるとなると、今度はサービスを提供する側の問題ではなく、受け取る側の問題になるので、それは自分の権利として自分が動いてものにする。