中国旅行は中国と日本の絆の見直し

中国の人々や歴史を日本人との関係で捉えなおすよう心掛けた


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

新年のご挨拶

 「明けまして おめでとうございます」 
 こちらでは、あまりめでたいことはないらしい。ホテルでも従業員は相変わらず無愛想だし、何も変わったことはない。

 「めでたさも半分なりや 旧と新」 (李 白扇)

 街を歩いても普段より少し華やかかなと感じるだけであり、日本のように掃除がいきわたっているわけではないし、角松が立っているわけではない。皆が普段着ないようなきれいな服装をしているわけでもない。飯屋の老板は昨日となんら変わりなく、ぼさぼさの頭に、油と手垢で汚れきった前掛けをぶら下げている。猫もいつもと変わりないような顔をして塀の上で日向ぼっこをしている。犬は犬で取って食われないように絶えず警戒の目を光らせているように見える。すべてが、昨日と寸分違わぬことが繰り返されているように見える。
 これが、旧正月になると違うのかも知れない。なんて思いだすと、いっそのこと残ってそこまで見極めてみたい気になってくる。
 それはさておき、このように、一見全く同じことが繰り返されているにも関わらず、国レベルで見ると、世界レベルで見ると大きく変化しつつあるのは確実だ。それこそ30年前にガルブレイズ氏が「世界は激動の時代に入った」といったことが、予見ではなしに、現実のこととして目の前で繰り返されるようになった。地殻変動の地響きを立てている。ここ数年、地球温暖化という自然現象も含め、非常に不気味な動きがでている。
 しかし厄介なのは、目の前で繰り返されている事柄とこの底辺の変動とが一般的には結びつかないことである。むかしのアメリカ映画で、ラスベガスの地下をどろどろのマグマが噴き出しているにも関わらず、その上で生活する市民は、いつもと変わりなく、「おれの土地だ。それ買い物だ」と言っているうちにマグマが噴き出してくるというのがあったが、それとよく似ている。
 エンゲルスは「哲学者は世界をいろいろに解釈してきた。しかし大事なことは、それをどう変えるかである。」と言っている。
 そう、今は我々一人一人が、「世界をどう変えるか」という立場に立つことが、要求されている。しかも、一刻の猶予もなしに。

 以上大変深刻な話になったが、平たい話、「自分の身は自分で守りなはれ。その為に具体的にできることからやりなはれ。」ということである。
 これが、深刻な事態から抜け出るための、一歩ではなかろうか。
 もう、「どうしょ、どうしょ」と言って済む時代は終わったということだ。お互い大変ですね。それこそ「あーみーとーぼ」である。
 

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