中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

世界遺産 開平の遺構群

ここまで来たら、世界遺産でも見ないと申し訳ないと比較的近くの世界遺産に出かけて行った。以下の枠内の情報はAraChinaのホームページの参照である。

開平望楼(碉楼)群
「開平望楼(碉楼)群(ユんガンシークー)」
世界遺産登録日:2007年
遺産種別:文化遺産
遺産所在地:広東省

開平望楼(碉楼)は、広東省広州市から西へ約160キロの開平市にある1833棟の高層楼閣(碉樓, ディアオロウ)で構成されている西洋要塞風の建築群である。碉楼の大部分は華僑の人々によって明朝末期から民国時代までに建築されたものである。高さは約10メートルで、通常、3−6階の階層をもつ。高層化していった理由は、度重なる水害と馬賊や匪賊からの略奪を避けるためであった。壁に見られる小さく開けられた穴は銃の射出口の名残である。
碉楼の持ち主の多くは、19世紀中頃にアメリカやカナダに労働者として渡った華僑であった。一大労働力となった彼らの多くはその後の排華政策によって帰国を余儀なくされたが、莫大な送金によって作り出された楼閣は、彼らが滞在した西洋と故郷の中国との建築様式が入り混じった極めてエキゾチックなものとなっている。
かつて望楼は最盛期の1920年から30年代には3000箇所をかぞえた。しかし、その後の戦争や自然災害によってその多くは壊され現在に至っている。他の楼閣と比べて、永慶楼は当時の姿をそのまま残した形で保存されているので一見されたい。2007年6月に世界文化遺産に指定されている。

道程は広州からのものを示す。
1)地下鉄1号線 西朗方面行き 終点の一つ手前の 坑口で降りる。駅のホームに直接つながっている陸橋にそっていくと长途车站(長距離バスターミナル)がある。
  これが「芳村客运站」である。ここ以外にもいくつかあるようだが・・。ともかくこの「芳村客运站」からは20分に一本のわりで出ている。
2)所要時間は1時間半であるので、トイレは済ませておくこと。トイレは駅の待合の中にある。バス代は55元である。
3)バスは開平市のバスターミナルでおりること。(ここから先には公衆トイレのような気の利いたものはないので、やはり構内のトイレで済ませておくこと。
4)さてここからが厄介だ。
  まずもって世界遺産らしきものを表示したものは一切ない。
  タクシーの運転手に聞いても知らないと言われる。
5)仕方がないので公共バスに乗る。行先は马冈行きである。バス代は7元。小銭を用意しておくこと。乗るときに運転手に「世界遺産・開平碉楼群 下車」とだけ紙に書いて、見せて教えてくれと伝えること。紙に書いて指で「ここ、ここ」と数回たたけば分かってくれるだろう。なまじ中国語がしゃべれるからと思わない方がいい。まず間違いなしに通じない。相手の言うことも分からない。所要時間は30分はかかる。
6)田舎道をひたすら走るので、心細くなるが、みな根は親切なので安心してのっとけばいい。
7)降りる時ままた厄介だ。帰りのバスの時間を知らなければならない。降りたところで待っていて手を挙げれば載せてくれるから、場所は覚えておくこと。バス停のようなものは見当たらない。時刻表らしきものもどこにもない。見るのに1時間半はかかるから、1時間半から2時間後の時間を書いて、「开平/义祠」と書いて運転手に見せて、確認をすること。分からなければ紙に書いて帰りのバスの通過する時間を知っておくこと。
8)バス停からその場所まで20分はかかる。往復40〜50分は見ておくこと。

 以上が自分の反省も含めてのガイドである。f:id:China21:20090309163714j:image:leftf:id:China21:20090309163453j:image:right私はバスの終点近くまで連れて行かれ、そこで降りてもそれらしきものは何もない。その辺のおっさんに聞いても何も分からない。世界遺産なんてものはともかく知らないといいはる。仕方なく引き返しのバスに乗って、バスの中から携帯電話で中国人にかけて、事情を説明し、その中国人から乗客に、このいい加減な日本人を最寄りの停留所でおろしてくれるように頼んでもらった。
それで、最寄りの場所でバスは降りたものの、残り時間は45分しかないので、近くの墓場に立っているそれらしき遺構をカメラに収めたにすぎない。
これは墓場の真ん中に立っている。墓場の中に立てたのか、あとで墓場になったのかは知らない。海外で苦労した華僑の怨念がいまだ漂っているのかも知れない。遺構は全部で屋敷も含め往時には3000もあったというのだから、中国人というのはやはり底知れないスケールを持っているものだ。脱帽!
 これは見るに値するものだようだ。もう一度挑戦しようと思う。
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 これが中国の世界遺産の実態である。広州市内とは言わないまでも、せめて開平市のバスターミナルにはA4の紙に地図を書いて、置いておくぐらいのサービスがあってもよかろう。案内書にも聞いたが、彼らは「あっち」とバス乗り場の方向を指すだけである。聞くだけ腹が立ってくる感じだ。
日本なら世界遺産に指定でもされようものなら、町じゅう大騒ぎになるところだが・・。
 情報はYahooトラベルの方が多く得られる。
 私のように地を這うような観光を望まなければ、広州市からタクシーをチャーターして行った方が賢いだろう。多分1000元も出せば喜んで行ってくれるだろう。後はどのくらい値切るかは腕の見せ所だろうが、それも又楽しい旅の一コマになろう。