中国旅行は中国と日本の絆の見直し

中国の人々や歴史を日本人との関係で捉えなおすよう心掛けた


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

乾杯

 あるインターネットのサイトで日本人と中国人の食事の仕方の比較をして、日本人の食事のマナーにはついて行けないという記事があった。原典を忘れてしまったので、あまり迫力がないが、この意見は、「日本人は食事の時にあまり喋ってはいけない、笑ってもいけないが、中国人は食事は一緒に楽しくわいわいがやがやするものである。また日本人の割り勘は何とけち臭いことか。」という趣旨であったと思う。人それぞれであるが、この人の意見はあまりに偏ったものだと思う。日本人も職場の同僚と飲み屋に行くと随分騒がしいし賑やかなのである。しかし、周りが静かにお互いを会話を楽しんでいる所で、あまりわいわいがやがやするのもどうかと思う。この点では中国人も全く同様ではなかろうか。
 また割り勘と云うのはなにも日本人が最初に始めたのではなく、むしろ欧米の風習であると考えている。割り勘と云うのは、基本的にそこに参加するメンバーが、お互い独立で依存していない平等の立場を表したものだと考えている。むしろこれがある意味で民主主義的な風習であろうと思う。ある人がおごると、そこには金を出してあげたという一種の優越感が生じ、出してもらった方は出してもらったというある種の負い目を感じるものである。中国人がそれを全く感じないことはないと思うし、感じるからこそ余り出してもらうのは好まないだろう。この辺りは人間として感じることは中国人も日本人も変わりはないと思う。
 それにしても中国人は一般的に食事するときは賑やかである。紹興の有名な酒屋で一人紹興酒を味わっている時に、5,6人のメンバーがテーブルにやってきて、「お前ひとりだろう。我々はこんなに多いのでテーブルを開けてくれ」という。こちらは「それがどうした。関係ないだろう」とカチンときて、「私外国人で、あんたの言うこと全然分かりませーん。」と両手を広げると、彼らは諦めて別のテーブルに行った。そこまでは良かったが、あと彼らのにぎやかなこと。
 彼らは乾杯は近くの人間同士の場合はグラスを付きい合わせるが、離れた席になるとテーブルをグラスでコツコツと2回ほどたたき乾杯とする。そして大声でしゃべるし、もう少しTPOを考えたらと思うのである。そして彼らはビールはそれぞれ一人一人確保する。自分のビール瓶はテーブルの上に置かず自分の座席の横に置いておく。そして自分が飲みたいときに出して飲む。他人にはつがない。私から見ればこの方がよほどけち臭い飲み方のような気がするのだがどうだろう。
 このような食事のマナー一つとってもかなりの違いがある。政治的見解よりもこのようなマナーの違いが両者の溝を大きくするものだと感じている。そしてこの溝を埋めることは容易なことではないよう思うが、さりとて放っておくわけにはいかない。厄介なことである。
 

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