中国旅行は中国と日本の絆の見直し

中国の人々や歴史を日本人との関係で捉えなおすよう心掛けた


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

文化の底流「義」

一昨年のヒットした中国映画は「赤壁」。その底流にあったものは「義」である。蜀は「義」を掲げ魏と戦った。また昨年のNHKの大河ドラマの「天地人」の基本テーマは景勝の「義」と直江兼継の「愛」であった。ドラマはこの二人の武将の掲げる旗印を軸に展開した。
 このように中国でも日本でも「義」というのは、共通の思想というべきものかもしれない。義に対する態度で自己中心型と自己滅却型の違いはあるにせよ、両民族に共通して流れる思想が「義」であることにはあまり依存はないであろう。
 中国では儒教思想として完成されてからつい先日まで、「忠、孝、節、義」という言葉が、「仁」という言葉ともに人間の行動・生き方の規範として語られてきた。日本でも同じようにこれらの言葉が人々の生活に深く根ざしていた。しかし日本では、先の戦争によって、この言葉は重さを失い、中国では文化大革命によって、この思想は孔子と共に葬り去られた。
 ところがその中国を歩いてみて、この旧思想の代名詞の形で「批林批孔」と批判された「義」が言葉としてだけでなく、具体的な行動の指針として、まだ人々の間に息づいていることが分かり、社会が変わっても人々の意識は脈々と受け継がれるものだと改めて感じている。
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 そこで今日は、手始めに「義」という文字の源流に焦点を当ててみたい。
ここで再び唐漢氏に登場願う。彼曰く、



出典:「汉字密码」 (唐汉著 学林出版社) 


「義」という字は、羊と我という文字から成り立っている。ここで「羊」はこの種の頭上にある大きく湾曲した角を指す。その意味は羊の統率指導権や交配優先権を表すものだと解釈されている。そして「我」というのは古代の長い柄の一種の兵器のことであるが、形が美しく作られ実際の戦闘には不向きで、軍隊の標識用に作られたものだとしている。したがって「義」という字は、本来は「羊」の頭を指し自分あるいはグループの権力、戦闘に向かう集団の権力の誇示に並べたものであろうということである。
 このことから「義」は情理・正義に合致した名目の立つ出兵を示し、公正適切な言行を指すようになったということである。

 とすると「義」という言葉が殷や商の時代には単に軍隊の標識というシンボルという意味から「義」という思想的な色彩帯びた使い方に変質していたことを示していることになる。

 日本ではこの「義」という言葉はどう使われてきたのだろう。この言葉で私が一番先に思い出すのは「義理」である。しかし今やこの言葉は歌の世界でも映画の世界でもそして現実の世界でも死滅してしまったのではないかとさえ思われるが果たしてどうだろう。