中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

小さな違い大きな誤解 その2

 昨日までのうだるような暑さ。今日も決して涼しいわけではない。しかし、赤とんぼを発見した。昨日までは少なくとも見なかった。おう!ここにも赤トンボはいるのだという驚きとともに日本も同じかという感傷がよぎる。
 「人ごみを よけて飛び交う 赤とんぼ」 

 一昨日中国には日本のような季節感はないと断言してしまったのではあるが、やはり確実に秋は忍び寄って来ている。しかし、あたりの人々にこれに気付いた気配はない。
 だが、ここで一般化するところに大きな誤解が生まれるのだ。すなわち「中国人は季節の変化に鈍感だ」と。小さな部分で物事を見て、それを全体に広げてしまうという典型的な「観念論」だ。自分もそのような過ちを犯す傾向が多分にあることに厳に戒めなければならない。
 
 久しぶりに俳句をと意気込んだが、単に赤とんぼを見たというだけでは、モチーフにインパクトが欠ける。やはり中国ということを謳いこまなければ、ただの俳句もどきになってしまう。
七転八倒したがどうにも出てこない。出てきた結果が先のもどきである。しかし、下の句が蛇足である。思いっきり削ってしまったら、
 「人ごみの 熱気を避けて 赤とんぼ」(李 白扇) 赤とんぼが平凡である。しかも熱気と赤とんぼが季語である。 やはり難しい!