小さな違い大きな誤解 その2
昨日までのうだるような暑さ。今日も決して涼しいわけではない。しかし、赤とんぼを発見した。昨日までは少なくとも見なかった。おう!ここにも赤トンボはいるのだという驚きとともに日本も同じかという感傷がよぎる。
「人ごみを よけて飛び交う 赤とんぼ」
一昨日中国には日本のような季節感はないと断言してしまったのではあるが、やはり確実に秋は忍び寄って来ている。しかし、あたりの人々にこれに気付いた気配はない。
だが、ここで一般化するところに大きな誤解が生まれるのだ。すなわち「中国人は季節の変化に鈍感だ」と。小さな部分で物事を見て、それを全体に広げてしまうという典型的な「観念論」だ。自分もそのような過ちを犯す傾向が多分にあることに厳に戒めなければならない。
久しぶりに俳句をと意気込んだが、単に赤とんぼを見たというだけでは、モチーフにインパクトが欠ける。やはり中国ということを謳いこまなければ、ただの俳句もどきになってしまう。
七転八倒したがどうにも出てこない。出てきた結果が先のもどきである。しかし、下の句が蛇足である。思いっきり削ってしまったら、
「人ごみの 熱気を避けて 赤とんぼ」(李 白扇) 赤とんぼが平凡である。しかも熱気と赤とんぼが季語である。 やはり難しい!