中国のちまた見聞録

中国を素のまま、生のまま捉える様に心がけました


 「淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて久しく留まることなし」
  今から5、6年前中国を通算2年をかけて旅行した。中国語でいう「旅游」である。

 日本のように圧倒的に単一民族が支配的である国に対して、中国の広大で且つ多くの少数民族を内に包含し、多少の矛盾はありながらも、国としての体勢を2000年間の長きに亘って続けてきたということは、それだけでも畏敬に値する。

 今回の旅は現実の姿に直接触れることにより、中国の良さと遅れた点を垣間見ることができたと同時に、日本との関係において改めて日本を見直すきっかけになったと思う。

 このブログはその時の記録である。これ以上無理解による反目が広がらないことを祈る。

     目指すは「坊ちゃん」と「ドクトルマンボウ航海記」    (李 白扇)
 

 
 

大寒波

 今日は比較的暖かな一日であった。
 金曜日は教師にとっても、学生にとってもやはりほっとする日である。夕方すれ違う学生も実に生き生きとした表情で挨拶をしてくる。ついさっきまで、授業中は実におもしろくなさそうな顔をして座っていた同じ学生とはとても思えない。
 これが彼らの本当の姿なのかと、少し複雑な気持ちになる。では私のやっている授業は、一体何なのか?つい自問自答してしまう。
 町に出ると年末の雑踏なのか、金曜日のせいなのか人ごみでごった返している。日本のような気ぜわしさはあまり感じられないので、年末の雑踏ではないのかも知れない。こちらでは、すべての照準を旧正月に合わせているから、新正月はなんのそのという感じである。クリスマスの飾りつけも少しはあるといえ、日本の比ではない。同僚の先生に聞くと、キリスト教の人間は少ないので、あまりそう云った催しや祝い事はしないそうである。
 では一体日本は何なのかと考えてしまう。日本でもキリスト教信者はそんなにいるものではない。しかし、クリスマスだけは実に華やかである。日本文化は、いいとこ取りの文化なのか。祝い事が好きなのかも知れない。それはそれでいい、それが文化なのだ。
 そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、バイクに乗っていたおっさんに「気を付けんかい」と怒鳴られた。「なに言ってやんでい。自分だって反対車線を走ってきたくせに」と怒鳴り返そうとしたときには、おっさんはとうの昔に雑踏の中に消えていた。そんなあわただしい一日であった。
 明日から大寒波が来るとの予想である。月曜、火曜日辺りはマイナス7℃とのことである。備えは家から送ってもらったダウンのジャンパーで十分だろう。