分かりません
いつも学校へ行く道に靴磨きの人々が並んでいる。料金は一律2元である。何事も経験というわけで、靴はそんなに汚れてなかったが、やってもらった。年の頃は40以上の人が多いようだ。やってもらっている間、当然のことながらいろいろ言ってくる。どこから来たの?とか何をやっているのかとか、揚州にはどれくらい居るのかとか。気にいい連中なようで、にこにこと大らかにやっている。昔から古今東西「靴磨き」からくるイメージとはだいぶ異なる。ともかくじめじめした所がない。一人2元で我々日本人にとっては、かなり安いと思うが、町全体で人余り現象で労賃は低く抑えられているから、2元といえどもそれほど安いと感じていないのだろう。何しろ、学食で3元有れば、腹いっぱい食べれるのだから、ちょこっと磨いて2元確保できれば十分といったところかも知れない。生活費さえ安く抑えられれば、日本でも生活苦という感情は出てこないと思うのだが・・。
そういうややこしい問題は別として、靴屋のおばちゃんとの掛け合いが面白い。言葉が分からなくても、いい加減なところがいい。
こちらも適当に相槌はうっているが、面倒くさくなると「わかりません。」で打ち切りになる。これは我々のように外国人にとっては非常に便利な言葉である。分かっていても、「わかりません!」、ややこしくなったら「分かりません」。
この前は「おなら」で返事したら、向こうは「今何んと云った」と、当然のこととして、「分かりません」。
しかしおならでなくても、あまり「分かりません」を連発すると「お前さっき分かりませんと云ったではないか」と逆ねじをくらわされるからほどほどに。そういうときも、慌てず騒がず「分かりません」で押し通すのがコツ。変に分かってしまわないようにくれぐれもご注意あれ。